進路のヒント 《工学特集》 工学を楽しもう! 目の前の課題がすべてではない

写真 野崎晃平さん

豊かな社会の維持、発展のために

株式会社豊田自動織機 技術技能ラーニングセンター センター長
野崎 晃平 さん

コンピュータも万能ではない

最近は、教育訓練で設計図を引くのに、コンピュータを一切使わずに手描きで行うようにしています。バーチャルな世界に馴れすぎた新人たちに製造業で最も必要とされる実感や立体構想力を身につけてもらうためです。

開発設計でも、パソコンだけに頼ると、信じられないような設計図が出来上がったりします。ある機械を製作するとします。コンピュータの画面には短時間で素晴らしく綺麗な立体図形ができます。しかし実際には、部品同士を結合するためのボルトが入らないので組み立てられない等の問題が発生することもあります。図面を描くには全体の構成を考え、おさまり具合を予測することが大事なのです。この場合、組み付けるボルトが入るぐらいの隙間をあらかじめ作っておかないといけないことぐらいはすぐわかります。それがバーチャルな世界、パソコンに頼るのに馴れてしまうと、そういう想定がなかなかできません。また、概数を使えば暗算できるようなことでも、いちいちパソコンを立ち上げ、エクセルで計算するなどという無駄なことも結構多く見受けられます。

新入社員がおかしい

私たちが大卒、院卒の新入社員の仕事に異変を感じ始めたのは、今から10年以上も前のことです。上記のような例や、入力ミスでとんでもない数値になっているのに気づいていないような設計図が、あちこちで目立ち始めたのです。このような失敗は製造業ではたちまちコストに跳ね返ります。

基礎学力テストの平均点の推移

確かにパソコンの普及により、バーチャルな世界に馴れ親しんだ世代が入社してきているのはわかっていましたが、本当にそれだけだろうかとみな首を傾げるばかりでした。もちろん当時、多くの製造業では学習指導要領が変わり、学校教育の中身やボリューム、カリキュラム構成が自分たちの時代とは大きく違ってきていることなどは知るよしもなかったのです。

こうした状況に対して何らかの対策を講じようと、私たちが作ったのが技術技能ラーニングセンターです。そして高卒だけでなく大卒、院卒の新入社員にも一定期間受講してもらうことにしました。また、新入社員の実態把握のために、数学と物理の基礎学力、それに専門の基礎知識を問うテストを自社で開発し、その結果を分析、検証していくことにしました。もちろんこの間、学力問題を研究されている先生方からも様々なアドバイスをいただいたのも事実です。

テストはベテラン社員なら平均で70~80点は取れるような設定で行いました。その結果は、得点のバラツキが大きいこと、そして平均点は私たちの予想をはるかに下回るものでした。しかもそれは年々下がり続けているのです(右図)。

求められるのは基礎学力とその系統性

私たちの現場で求められるのは応用力と創意工夫を身につけた人材ですが、そのためには学校や大学で基礎知識や基礎学力を身につけておくことが不可欠です。しかもそれらを系統立てて理解しておくことも必要です。また、意外に思われるかもしれませんが、計算力、暗算力も大事です。現場でとっさに判断しなければならないような場面では、それらが唯一の頼りになるからです。

私は機械工学の大学院を出ましたが、当時の大学院入試では、4力(熱力学、材料力学、流体力学、機械力学)を学んでいることが大前提でした。ところが今の大学院入試ではどうでしょうか。またかつては高校でも、現在のように選択科目ばかりではなく、理系に進むのであれば物理・化学は必修でしたし、小・中学校での計算演習の量も、今の比ではありませんでした。

豊かな社会の維持、発展のために

もちろん誰も、そのときの教育課程、教育内容から無縁ではいられません。特に小・中学生、高校生の間はなおさらです。学校で習うこと、試験で課されることがすべてといっていいかもしれません。しかし、実際の世の中で求められる力は、勉強という狭い範囲に限っても、とてもそれだけで十分ではありません。だからこそ、企業では入社後に教育訓練が行われてきたのです。しかしグローバル化で変化のスピードが早くなった現代社会では、それさえも追いつかないような状況も生まれつつあります。であればこそ、高校、大学時代と、単に与えられた課題をこなすだけでなく、それ以外のこともしっかり学んでおくべきだと思います。もしそれがかなわなくても、今向き合っている世界だけが決してすべてではないという認識だけは持っておいてほしいものです。

現在私は、社員の採用には直接携わっていませんが、採用面接に立ち会ったり、将来の製品開発に必要な基礎研究を行っている大学の研究室を回ったりしています。そこで出会う留学生、特に中国を中心にした東アジアからのみなさんはとても優秀です。そしてその多くは、日本の大学で身につけた先進技術を母国へ持ち帰り、その発展に貢献しようと考えているようです。

国際競争力はそのまま国の豊かさにつながります。日本が将来に亘って、今のような豊かな社会を維持していくには、決して目の前の課題をこなすだけで満足して欲しくないというのが、製造業に長年携わってきた者の実感です。