進路のヒント ススメ!理系特集

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21世紀の農学は生命科学を総合的に扱う学問 農学は地球規模での課題解決の切り札 明治大学 農学部長 早瀬文孝先生

理系の学問の中にあって、文系志望の受験生にも親しみを感じさせるのが農学。何千年も遡る、人と農とのかかわりがそうさせているのかもしれません。農学は歴史が古いだけではありません。バイオや生命科学といった近年脚光を浴びるようになった学問の多くもここから生まれるなど[コラム]、時代の先端を切り拓く学問でもあります。都心に程近い神奈川県川崎市生田地区にあって、都市型農学部として知られる明治大学農学部。学部長の早瀬文孝先生に、ご自身のご研究、農学の今とこれからなどについてお聞きしました。

【コラム】例えば、かつてチーズ作りは、牛乳を固めるのに仔牛の胃の中の凝乳酵素液を使っていました。しかしこれでは犠牲になる仔牛が増える一方だということで、微生物を利用したバイオの研究から凝乳酵素が開発されました。

褐色を科学する

メイラード反応(Maillard reaction)は物をおいしくする

鉄板の上でジュージューと音を立てているハンバーグ。その褐色のかたまりは、数分前までは少し赤みがかったピンク色をしていました。焼きすぎて苦くなってしまうのは炭化によるものですが、その手前の一番おいしい状態は、肉の主成分であるアミノ酸や糖が加熱によって反応するメイラード反応(非酵素的褐変)と呼ばれる化学反応によるものです。食品を貯蔵したり、加工したりする際、成分間で様々な反応が起こりますが、メイラード反応はその代表的なもので、酵素が一切関わっていないのが特徴です。

褐変の例はたくさんありますが、代表的なものとしてはコーヒーやパン、また貯蔵によるものでは味噌や醤油などの代表的な調味料があげられます。どれもいい香りがして、おいしい味がしますが、さらに、「うまみ」とは違う「まろやかさ」や「コクがある」ことにも、この反応が関わっているのではないかと考えられるようになってきました。ちなみに、皮をむいた後のリンゴやバナナの身が、茶色くなっていくのは酵素の働きによるもので、メイラード反応とは違います。

食物は茶色くなると、なぜおいしくなるのか。おいしい食物や調味料の多くはなぜ茶色なのか、――この機構の解明と、反応によって生成されるものの同定やその生理作用の解明は、私が長年取り組んできた大きなテーマの一つです。

メイラード反応は食品以外にも見られる

メイラード反応は食品だけでなく、構成成分が類似している人間の体内でも起こります。

糖尿病は日本において、今や予備軍も含めて2000万人近くにも上るとも言われる国民的な生活習慣病になっていますが、その発症機構の一つにメイラード反応が考えられています。血液中にブドウ糖(グルコース)が増えると、様々な体の中でこの反応が起こるのです。例えば糖尿病が原因の白内障は、目のレンズの中のタンパク質が、長期間グルコースに晒されてメイラード反応が起こることが原因であるとわかってきました。この研究は医薬分野でも取り上げられ、その後世界中で進められていますが、メカニズムの解明が進めば糖尿病の原因の一つを突き止めることができ、しかもその反応を抑えることで、糖尿病をブロックできるかもしれません。

一方、メイラード反応生成物は食品として日常食べていますが、先ほどのおいしさ以外のプラス面もあります。最終生成物のメラノイジン(褐色色素)※1には、抗酸化性や発がん物質を抑える機能が認められています。生活習慣病の多くは生体の中の酸化や糖などのカルボニル化合物が増えたりするストレス反応が原因と言われています。
メラノイジンには生体の中の酸化を抑える働きがあります。また褐色に至るまでには赤や青、黄色の色素が現れますが、それらの物質にもやはり酸化を抑える機能があることがわかってきました。このような三次機能の機構が解明できれば、生活習慣病を抑える食品や薬の開発にもつながるのではないかと期待しています。

メイラード反応は他に、環境中にも見られます。土です。濃度の差はあれ肥沃な大地はみな茶色をしています。それは不思議に人の心を落ち着かせる色でもあります。

このような私の研究は、農学の中では農芸化学と呼ばれるジャンルに含まれます。明治大学農学部には、他に農学科、食料環境政策学科、生命科学科の3学科があります。農芸化学科は生活に密着した諸課題について教育研究をしていますが、生物の生命現象を分子レベルで解析・解明する学科が生命科学科です。

※1 食品は3つの機能に分けることができる。一次機能は栄養機能で、二次機能がおいしさや香りといった食品の感覚機能。医学、生理学に関連するのは、生体調節機能などの三次機能となる。食品由来の特定の外因性物質と生体の内因性物質とは協同して神経系、内分泌系、免疫系などを調節しているのではないかと考えられていて、三次機能は農学だけでなく薬学、医学、理学にまたがる生命科学の重要な研究分野になりつつある。

21世紀の農学のあり方と明治大学農学部

21世紀において農学は、生命科学を総合的に扱う学問と定義することができます。そして、21世紀の人類の最大のテーマである、≪人類の持続可能性≫に寄与できるのも農学です。人類の持続可能性を占うキーワードは、「食料」、「環境」、「生命」ですが、農学は生物資源の確保のための研究や環境保全の研究、そして生命現象の仕組みの解明などを通じて、そのすべてに応えることのできる学問だからです。

国内においては食の安全、安心をどう守るか、環境破壊や汚染の拡大をどう防ぐかから、高齢化社会における生活習慣病の増大への対応、さらには他の生物との共生や、生物多様性の維持をどう図るか。また世界へ目を向ければ、こうした問題に加えて途上国への支援等々、現代には課題が山積みですが、それらの解決に幅広い領域から真正面に取り組んでいけるのが農学なのです。

本学部は、生命現象の解明と生命機能の有効利用や食料の安定供給のための研究、あるいは、環境は安らぎや癒しなど、人間の心の安定にもつながる重要なものという認識の下、生活環境や自然環境を維持、創出する研究等を通じて、人間が健康で豊かな生活を送るのに必要な知識、技術を身につけた人材の養成をめざしています※2

食料環境政策学科のように文系学科があり、しかも充実した一般教育課程を揃えていますから、文理融合の学びに接する機会も多く、広い視野を育てられるのも大きな特徴です。
また、都市型にもかかわらず、来春からはキャンパスの近くに実習のための先端的農場が完成し(コラム下)ますから、入学当初から実践的な学びに触れることができます。

農学とは、総合、応用の学問であり、かつ実践的な学問です。専門科目の多くは問題解決型のプロセスの中で学びますから、ことさら意識することなく現在の社会が求める実践力が身についていきます。そして将来、どんな道に進むにしろ、それがみなさんの大きな財産になることは間違いないと思います。

※2 さらに具体的には、気候変動、資源エネルギー問題への対応、生物多様性の保全、生物生産の高効率化や生理活性物質の研究、微生物を利用した環境浄化、生命現象の解明、国際的な課題としての食料問題の解決や、地球規模での環境資源の維持、発展途上国の経済開発。さらに市民農園型の農業講座の開催、植物工場での研究などが行われている。

黒川農場

生田キャンパスに程近い川崎市麻生区黒川地区に2012年春、開園される。農学部の学生の実習のためだけでなく、市民講座などを設け一般市民へも開放するなど、都市型農場を目指す。

近年脚光を浴びるハイテク、エコ技術を使った最先端の生物生産システムも導入される。周囲には、東京の都心に最も近いといわれる里山も保全し地域と連携して環境保全型農業の研究にも力を入れていく。

高校生へのメッセージ

高校時代には、何といっても基礎学力をしっかり身につけておくことです。中でも数学は、実験系の授業でデータ処理などを日常的に行いますから必ず必要です。もちろん文系学科においても、やはり必須です。ただ農学は極めて幅広い学問ですから、理系だけでなく文系の科目についてもしっかり学んできてほしいと思います。またグローバル化はますます進展して行きますから、英語もしっかり身につけてきてください。

教科の基礎を身につけるのと並んで大切なことは、いろいろなことに問題意識を持ち、何でも自分で考えてみる習慣を身につけることです。同じ物質でも色が変われば味も臭いも変わるのです。同じように不思議な現象はみなさんの身近にもたくさんあるはずです。

Profile
早瀬文孝先生の写真

明治大学 農学部長

早瀬 文孝 先生

1946年生まれ。69年東京農工大学農学部卒業。74年東京大学大学院農学研究科博士課程修了。農学博士。湘北短期大学助教授、東京大学農学部助手、講師を経て、92年より明治大学農学部助教授、教授。85~87年米国ケースウエスタンリザーブ大学博士研究員。著書に『わかりやすい食品化学』(編著)、「色からみた食品のサイエンス」など。

※この記事は、大学ジャーナル2011年11月号(Vol.96)に掲載された当時のものです。