進路のヒント 先生になろう!

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すっきり、くっきり、これっきり 教え上手は、学ばせ上手のことである 玉川大学教職大学院 教育学研究科教授  同教育学部教授 山口栄先生

授業の進め方や授業のデザインを考える教育方法学がご専門で、これまであの「ドラゼミ」の作成に関わったり、最近では学習塾講師のための『塾講師検定』作成にも関わるなどユニークな活動を続けられる山口先生。一方では、早くからLD児の教育にも関わられるなど、どう教えるかをとことん追求してこられました。マニュアルや抽象的な標語が独り歩きしがちな教育界への直言と、求められる教員像についてアドバイスをいただきました。

教えるということについて、もう一度考えてみよう

私が専門とする教育方法・技術という分野の性格からくるのかもしれませんが、教育の議論をする上では、具体的な文脈で、いかに教えるか、学ばせるかという視点を欠いてはならない、というのが私の持論です。近年は、ゆとり教育云々と前後して、小、中学校では≪生きる力≫や≪自ら学ぶ力≫、大学では≪問題発見能力≫や≪課題解決能力≫などの抽象的な言葉が現場に溢れるようになりました。また最近では、PISA型学力※1などといった評価の難しい概念にも注目が集まっています。しかし、分数などを教えるときに、それらがどれほどの意味を持つのか、従来の授業をがらっと変えなければならないものなのか、ということが明確にはなっていません。教職大学院※2で教えていると、そうしたあいまいさがどれほど現場を混乱させているかもよくわかります。

教育方法・技術は授業のデザインについて考える学問ですが、その目的は学校での一斉授業をどう進めたらよいか、ではありません。算数で言えば、いかに子どもにわからせるか、いかに算数を面白くさせるかを考える学問です。算数がおもしろくなった子どもは放っておいても勉強します。言い換えればそうさせるのが教師の仕事で、それができれば後は極端な話、寝ていてもいいのです。それは塾でも学校でも同じです。3年生であるか、4年生であるかも関係がありません。中学入試の算数には、ほんとにおもしろい問題がありますよ。私はこれをもとに『折り紙で学ぶ図形パズル』を作りました。

こんなことを教職大学院で、学年制を前提とする学習指導要領や時間の配当にがんじがらめの現職の先生や学生に話すと、初めは反感を持ったり、当惑したりします。しかしそのうち、これだけを教えればよいのだとはっきりさせ、10時間が配当されているとしても、できるだけ短い時間で終わらせ、あとは自由にやった方がはるかに実り豊かなことに、彼らも気づいてくれるのです。実際、学習指導要領も、自由裁量の部分をかなり認めています。完全週5日制になってから学校では時間が足りないと問題になっていますが、教師の活動を主体にして考えるのでなく、子どもたちが何を学べばよいかを明確にすれば、もっとすっきりと授業が組み立てられると思います。

私のモットーは、「すっきり」「くっきり」、「これっきり」。子どもがわかり、学びを楽しめるようになることが大事で、それ以外のこと、たとえば評価できないもの、評価しにくいものなどは極力排除していこうということです。私はこんな時代だからこそ、改めて「何がほんとに大事なのか」から考えることを、教員をめざすみなさんにもぜひ頭に入れておいてほしいと思います。

※1 PISAでは、教科の学力ではなく、それを実生活にどれだけ活用できるかを問う。出題分野も「国語」「算数・数学」「理科」ではなく、「読解力」「数学的リテラシー」「科学的リテラシー」などとなっている。
※2 2008年4月1日(平成20年度)からの開設された専門職大学院の一つで専門性の高い教員養成を目的にする。

LD児の教育から見えること
教育の基本は個別 集団はそれを積み上げたもの

LD(「学習障害」)という名称は、今でこそ一般的に知られるようになりましたが、私がその対応を考え始めた10年前はほとんど知られてはいませんでした。彼らは、能力そのものは高いにもかかわらず、たとえば漢字が書けないなど、何か特別な能力に欠陥があるために、学校のような集団授業では、「できない子」「怠けている子」とみなされ、障がい児として扱われることもありました。しかし、一斉授業を前提とする学校ではその対応が難しいことにも気づきました。今でもその理解は十分ではなく、「もっとできない子もいます」の一言で片付けられることが少なくありません。彼らに必要なのは、個々の困難を理解し、対応することです。幸いにも我が国では個別指導の学習塾があり、私は初任者の研修に協力しています。

私は「学習障害」ではなく「学習困難」と言っていますが、ここから見えてきたのは、やはり教育とは基本的には個別のもので、集団指導は、それをあくまでも積み上げていったものだということです。もちろん、切磋琢磨するなど、集団でなければ出てこないような教育効果もありますから、個別指導が全てだという考えも間違っています。しかし、学校のように集団指導が前提になっているような場でも、基本は個別指導にあるという考え方は必ず押さえておいてほしいと思います。

現在の学校現場を見ていると、多くの先生が3年生なら3年生にどう教えるかばかりに気を取られていて、なかなか個に対応できていないようです。大事なのは、集団の中であっても個に対応する授業のデザインなのに、クラス全体をいかに教えるかということ自体が目的になっているようなケースさえ見受けられます。教師の目的はあくまでもいかに学ばせるか、いかにわからせるかであり、個々の知識や能力に関係なく、だれもがわかる集団指導のプログラムやマニュアルなど存在し得ないのです。

私のキャリアと教師論、学力論

私の考え方が少しでもユニークだとすれば、それは私の教育学を学ぶようになった経緯にあるのかもしれません。私は商学部を一旦卒業してから、教師になろうと文学部・教育学科へ学士入学しました。当時としてはまだ珍しいことで、同期の4人もみなそれぞれ社会を経験してきたユニークなメンバーでした。その中に一人、学習塾を経営している友人がいて、私はその塾を手伝いながらドクターまで進みました。塾は「できる、わかる」がすべてで、やる気のない子はやめてしまいますから、この最初の教育現場との出会いが、私が学習指導要領に縛られない考え方を持つようになった一つの要因だと思います。

私の目から見ると、今の先生は、学習指導要領にあまりにもがんじがらめに縛られていて、教育方法学についても学校の一斉授業をどうするかを考える学問と勘違いしている人が多いようです。また教育をめぐる抽象的な言葉の解釈に追われ、本質を見失っているようなところもあります。授業をするというレベルで考えれば、≪生きる力≫などといった曖昧なもの、評価できないものは、授業を混乱させるもとになります。「自ら学ぶ力」を育てるのではなく、自ら学びたくなるようにするが授業なのです。子どもはおもしろければ学びますし、やる気がないわけではありません。できないからやる気を失い、おもしろくないからやらないのです。その証拠に、子どもたちが自ら進んでやるのは、大人がやってはいけないということばかりです。教師である以上、ゲームよりおもしろい授業ができるかが腕の見せ所ともいえるのです。

国際学力比較などの結果から、最近では、PISA型の学力をどうつけるかといった議論が盛んですが、授業をどう進めるかといった方法論ばかりが先行して、基礎的な知識・能力を徹底することが疎かにならないかと心配です。基礎が身についていないのに思考力や知識を活用する能力が育つことはないと考えるからです。

基礎を身につけさせようと思えば、教師はやはり、こうあるべきだというものを見せてあげる必要があります。プロがある程度のところまでを示すことで基礎を身につけさせる、その上でそれを応用したり、自分なりに組み換えてみるというのが順序というものです。かつて「自ら学ぶ」というスローガンのもと、「指導」から「支援」へといった言葉が学校現場を蔽ったことがあります。子どもがあたかもその課題を発見したかの如くに始まり、そのために多くの時間を費やしていました。教師が教えたいことがあるのであれば、そんなまどろっこしいことをせず、最初から「今日はこれを学ぼう」と言えば、そんな苦労も時間のムダもなかったはずです。「すっきり、くっきり」と考えることがポイントです。

試験対策

学校の教員になるためには、教員採用試験に通らなければなりませんから、私は、ゼミに入ってくる学生たちがみな合格するような指導も心がけています。勉強には、目的に向かって戦略的に行うべきものと、果てしなく問い続けるものとがあります。試験とは前者です。「採用試験に受かりたければしっかり対策せよ。よい教師になりたければゼミで学べ」というのが、私の口癖です。敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。そのため、ゼミでは2年の終わりにゼミへの配属が決まった段階で、学生に5年分の過去問をやらせることにしています。この段階では、たいていの学生は、自分がいかにできないかを思い知ります。受かるための戦略を立て、ムダな努力はしないことがポイント。それ以外の時間は、よい教師を志して鍛錬することです。私はそれを支援します。

私の若い時もそうでしたが、教員は昔も今も変わらない魅力ある仕事です。余計ですが、教職は入試難易度の割に取得した資格に値打ちがあるのではないか、と思っています。つまり費用対効果が高い。教員になれば収入もそれなりに安定していますし、世の中の経済的な変動に煩わされることもあまりありません。モンスターペアレントなどといった、おそろしそうな話もありますが、人と関わり、知るを楽しみ、それを分かち合うことができるのは、何よりも教職の魅力だと思います。

では、よい教師になるためには何を学べばよいか、ということですが、学習困難な子どもたちに象徴されるように、学習者を理解することです。教育方法というと、教え方ばかりに目がいきますが、大切なのは学習者のつまずきを理解しなければなりませんし、わかるためには学習者にも相応の努力がいることを知らなくてはなりません。また、「生きる力」「PISA型学力」など、注文書のようにつぎつぎと出てくるスローガンなどに振り回されないように、それらを分析する力も必要ですね。何よりも、学ぶことを喜べる姿勢は大切です。サッカーのきらいなコーチがサッカーのおもしろさを教えられないのと同様、勉強がきらいな教師が勉強のおもしろさを教えることはできないでしょう。教師としての力を蓄えるために、理論と実践を重視し、しっかり鍛えてもらえるゼミや教室で学んで欲しいと思います。

Profile
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玉川大学教職大学院 教育学研究科教授
同教育学部教授

山口 栄 先生

1947年生、慶応義塾大学大学院社会学研究科教育学専攻博士課程修了。1995-6年 Edinburgh大学客員研究員、専門は教育学、教育方法・技術。研究領域は、教授プログラムの開発を中心として、指導目標をめぐることばの分析、教育方法の研究・開発、教育評価、メディアの教育利用など。また、近年は、学習困難をもつ児童、生徒、学生の支援も行う。教職大学院では、「授業のデザイン」を担当。また看護教育に関しては、看護学部の先生方の修士課程での研究指導を通して、20年来、看護実習指導者講習会の講師として、教育学、方法、評価の概論を担当する。

著書:「授業のデザイン」、「視聴覚メディアと教育」、「教材作りのためのFlash 20 Lessons」(以上、玉川大学出版部)、「21世紀コンピュータ教育事典」(旬報社)「おりがみで学ぶ図形パズル」(ディスカバートェンティワン)など。看護教育分野では『教育方法の変遷』『看護教育において基礎とは何か』『プラトンを手がかりとした教育学入門(1)-(12)』(『看護教育』医学書院)など。訳書近刊:ノエル・エントウィスル著(山口訳)『学生の理解を重視した大学授業』玉川大学出版部(11月の初旬)。プログラム開発:小学館ドラゼミ算数プログラムの監修とテキストの執筆。リクルート映像の企業内教育ビデオ教材シリーズのプログラム指導など。2006年から2010年まで、塾講師の集団指導検定プログラム(1級、2級)の作成プロジェクトに関わる。