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これからの国語教育のために 出口汪先生

活字離れなどという言葉に象徴されるように、近年は日本語の語彙力やその運用能力の低下が指摘されています。一方で、グローバル化に対応するため、外国語能力の向上や、外国語によるよらないにかかわらず、文章作成能力がこれまで以上に求められるようになっていて、このような日本語の力を高めることがこれからの日本の教育の大きな課題とされています。国語がご専門で、これまでに全くなかった新しい論理力養成の言語プログラム、『論文エンジン』の開発に注力されている出口汪先生に、先生を目指す高校生にアドバイスをいただくとともに、今秋から始まる『論理文章能力検定』についてもお聞きしました。

自ら"言葉の力"を身につけよう

今春から実施された小学校の新しい学習指導要領では、全ての教科において言語活動の充実を図ることとされていて、言葉の力を養うことへの注目が高まっています。もちろん日本で生まれ育った以上、みな日本語はしゃべれますし、巧拙はともかく、一応メールで文章も書けますから、私は教育や学問の場で今、問題にされているのは文字通りの言葉の力ではなく、文章を論理的に読む力、論理的に考える力、論理的に文章を書く力だと考えています。

日本語をもっと論理的に使いこなす力が必要であることは、これまでも何度も指摘されて来ましたから、今回、文部科学省がこのような指導方針を示したことは、ある意味では画期的です。ただ、これまでもそうでしたが、具体的な方法についてはほとんど現場任せですから、今後数年は、学校現場が大混乱する可能性もあります。実際、教科書会社なども対応の仕方がよくわからないというのが本音のようです。

指導方針は立派でも、現場では成功しなかったという例はこれまでにいくつもあります、というより、何事も本来はこうあるべきだという中で行われてきたのが現実だった、ともいえます。たとえばみなさんの関心事である大学入試でも、高校で最低限の論理力を身につけているはずだということを前提にして、現代文を論理的に読んだり、小論文などで自分の考えを論理的に書いたりする力が試されています。大学は大学で、それを前提にして論文を読み、論文を書くことを求めてきました。しかし実際、高校の3年間で、文章を論理的に読み、論理的に考え、論理的に書くような力を身につけた生徒がどれだけいるかは疑問です。

とはいえ今回の改訂をきっかけに、みなさんが大学を卒業する頃には、教育現場は大きく変わっている可能性もありますから、教員を目指す人は、高校時代から、日本語を論理的に使いこなす力を意識的に身につけておいたほうがいいと思います。逆に言えば、それを自分のものにできていれば、脚光を浴びるかもしれないということです。
これまで多くの受験生は、所詮日本語だからとか、差がつかないからと、国語には力をいれずに、英語や数学にばかり力を入れてきました。しかし今後は、このようなやり方で大学に合格しても、先生になってから苦労するのではないでしょうか。

※幼稚園教育要領、小・中学校学習指導要領等の改訂のポイント
3.教育内容の主な改善事項
言語活動の充実
○国語をはじめ各教科等で記録、説明、批評、論述、討論などの学習を充実(文部科学省HPより)

歴史から学べ

将来、教師を目指す人には、近代日本の教育史についても最低限の理解を持っておいてほしいと思います。というのも、幕末からこの方、日本では論理的に物事を考えることの重要性をほとんど教えてこなかったことがわかるからです。

私は、日本の近代教育の前身は江戸時代の蘭学だと思っていますが、この問題の出発点もここにあると考えています。鎖国をしていた江戸時代、西洋の学問はオランダ語を通してしか紹介されませんでしたから、オランダ語を学ぶことが西洋の学問を学ぶことでした。開国して、明治時代を迎えてもこの構図は同じで、中心的な外国語が、オランダ語からドイツ語、フランス語へ、さらには英語に代わっていったにすぎません。西洋の進んだ文化を取り入れるために必要だったのはまず語学であり、学問とは語学を学び翻訳することである、というのが日本の学問のあり方になってきたわけです。

加えて、大学へ進んだごく少数の人間が翻訳したヨーロッパの科学・技術、人文科学についての文献を、大多数の日本人が読み、模倣していくという教育体制もこれを助長しました。算数の計算訓練や、暗記や模写が重視されるのもその当時の名残ですし、大学入試でこれまで、英文解釈が重視され、素材としても日常とはかけ離れた学術的な文章が多く取り上げられてきたのも、このことと無関係ではないと思います。

これは明らかに後進国型の教育と呼べるものですが、これが功を奏して、日本は欧米に追い付いていきます。当然、どこかの時点で先進国型の教育に切り替えればよかったのですが、大国ロシアを向こうに回して日露戦争に勝ってしまったことで軍部の力が強まり、以後、軍国主義へと傾斜する中でそのチャンスを失ってしまいます。

軍国主義時代というのは、東京大学より陸軍士官学校や海軍兵学校の方が人気のあった時代です。しかしこれらの教育機関では、上官の命令を一語たりとも間違わずに正確に遂行することを訓練しますから、模倣エリートを数多く生む結果となってしまいました。この流れは、第二次世界大戦が終わった後まで続いてきたわけです。

先進国と肩を並べる経済力を持ちながら、後進国型の教育を続けてきたというこの歪みこそが、私は戦後の高度経済成長のあとに、勉強することが人間疎外につながるような受験地獄を生んだのではないかと思っています。結果としてそれは、その反動としてのゆとり教育も生んだのです。

今や中国はじめ他のアジア諸国は、これまでの日本に近い教育が成果を上げ、日本と同じような製品をより安価に作れるようになっていますから、日本がこれまでのような教育を続けていては、完全に国際競争から取り残されてしまいます。実際、これまでは模倣型の人間を求め、自ら考える人間を排除してきた企業も、最近では逆に、新しいものを創造できる人間を求めるようになってきています。文部科学省が重い腰をあげ、新しい教育についてのアドバルーンを上げたのについては、このような背景があるわけです。

私の専門である国語について一言付け加えると、今後はますます国語教員の役割が高まってくると思います。新しい学習指導要領では、すべての教科で言語表現が重視されますが、その中核となれるのは当然、国語の教員だと思うからです。ただ、国語には長い間、国文学に近いイメージがあって、指導の中心もいきおい教養や感性といったものに置かれてきた。私としては、これから教員をめざす人には、今までのこうした国語教育から脱却して、日本語を論理的に扱うイメージをもっておいてほしいと思います。

論理エンジンと、なぜ今『論理文章能力検定』なのか?

私は、日本人の多くが中学、高校時代から、しっかりとした論理力を養っていかないと、日本は三流国家に成り下がってしまうのではないかと危惧しています。しかしこれまで、個人的な実践はともかく、プロジェクトとして論理力を確実に養うことに成功した例を聞いたことがありませんでしたから、自分でやろうと考えたわけです。

最初は、自分の講義や自分で書いた参考書で、論理力の大切さを訴え、それを養うための方法を示してきました。しかし一人で広げることの限界も感じるようになりましたから、学校の先生の賛同を得て採用してもらえるようなプログラムと教材、『論理エンジン』を10年ぐらいかけて全力で開発してきました。

今は採用していただいた学校も確実に広がっていますが、全ての学校で論理力の養成がはかられるのが私の理想とするところですから、まだまだ道半ばです。

『論理文章能力検定』は、日本ではこれまで、論理力を確かめるような試験がなかったことと、論理力の重要さを本当にわかってもらうには、大学の国語の試験に頼っているだけでは不十分だと考えたのが、開発のきっかけです。実際、大学の入試科目から外れた教科については、高校生はあまり熱心に授業を聴かず、ただ単位を取るための勉強で済ませることも多いのではないでしょうか。

この検定には様々な特徴がありますが、最も大きな点は絶対評価で、しかも将来、国際的に通用する資格を目指していることです。これまで日本では、高校3年生になって一斉に受ける大学入試に見られるように、テストは学年を区切って行われるのが一般的です。しかし個人差のある論理力の評価に学年による区別は必要ありません。論理力を養うための取組自体が、小学生からでも大人になってからでも始められるものですから、必要なことはその時点での力を客観的に測れることです。またそうであればこそ、世界に通用する資格にもなりうるのです。

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出口 汪 先生

出版社水王舎会長。1981年関西学院大学文学部日本文学科卒業 1983年関西学院大学大学院文学研究科(日本文学専攻)博士前期課程修了 1986年関西学院大学大学院文学研究科(日本文学専攻)博士後期課程単位取得退学。高等学校や予備校で現代文や小論文の講師も務めてきた。京都府立亀岡高等学校出身。