トップが語る、「大学」と高校生へのメッセージ

政策研究大学院大学 アカデミックフェロー 黒川清先生 「世界の中の日本人」になろう

黒川清先生の写真

今春、東京大学の入学式で、海外へ出ることの大切さなどを説き、最後に「今を生きよ」と後輩たちを激励した黒川清先生。昨年から今春にかけては、日本の憲政史上初となる国会東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(以下、国会事故調)の委員長として活躍、アメリカ科学振興協会(AAAS)からは「科学の自由と責任賞」を受賞※1し、アメリカの雑誌『Foreign Policy』では「2012年 世界の代表的な論者100人」※2に選ばれました。自らを日本という閉鎖社会での≪出る杭≫に譬え、グローバル化の中で立ちすくむ日本社会に鋭い警鐘を鳴らされてきた黒川清先生★に、グローバル社会の中で求められる学びについてお聞きしました。

★黒川先生は日米で医師、教授、帰国してからはさらに医学部長として医学部や大学病院の改革に注力されてこられたとともに、日本学術会議※3、内閣府総合科学技術会議、内閣特別顧問など、政府の枢要なポストを歴任され、日本の科学技術政策等についての提言などをまとめられてきた。

※1 American Association of Advancement of ScienceによるAwardfor Scientific Freedom and Responsibility。AAASは世界的に著名な科学雑誌『サイエンス』を発行する。
※2 Foreign Policyの100 Top Global Thinkers 2012
※3 日本の内閣府の特別の機関のひとつ。科学者の内外に対する代表機関であり、科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的とする(日本学術会議法第2条)。内閣総理大臣に任命された210人の会員により構成される(第7条)。2005年に総務省から移管された。特別の機関であるため、行政・立法・司法の三大権限は有していないが、政策提言や政策意見具申などの権限は有している。黒川氏は2003年から2006年まで会長を務めた。

グローバル社会とそこで問題となっていること

今日のグローバル社会は、東西冷戦の終焉と、同時期に始まったインターネットによる産業革命以来の産業・社会構造の変化によってもたらされたと考えられています。ここで大きな問題となっているのが、人口爆発とグローバルエコノミーによる格差拡大とその顕在化です。人口爆発は医学や様々な科学や技術の進歩によるものですが、一方で環境・エネルギー問題を惹き起こしています。グローバルエコノミーでは資本も生産工場も、政府が自分たちに有利な政策を行っている国や、労働力が豊富で賃金の安いところを求めて世界中を移動するため、中間層は減少し格差は拡大していきます。世界的な若者の失業問題もこのことと無関係ではないでしょう。

ツイッターやフェイスブックの利用者は膨大ですが、これらの企業で給与をもらっている人はほんの一握り。世界全体では、トップ1%の収入がその他99%の収入におおよそ当たるという見方もあります。しかもこうした現実は、ネットへのアクセスを容易にしたタッチパネルのアイフォン(2007 年発売)、アイパッド(2010 年発売)などの出現で、世界の極めて多くの人々の知るところとなります。貧富の拡大やアフリカなどの貧困が、今あらためて問題とされているのはこのためでもあるのです。人々の不満に火がつくと、それがアラブの春を生み、エジプト、リビア、シリアへと連鎖していく。2月のアルジェリアの問題、最近のトルコやエジプトの再度の混乱も同じ理由によります。今や世界の誰もが、この問題から目が外せません。それは明日にはわが身に及ぶかもしれないからです。

グローバル社会では各国は相互依存を深め、もはや一国だけの問題というものはありえません。しかも同時に、それぞれの国の固有の問題は国際協調を難しくしますから、一方でそれは分断の危機さえはらんでいます。世界は極めて脆弱な状態にあり、近未来も予測不能です。この20~30年で、世界は大きく変化するに違いないと考えているのは、私一人ではないはずです。

グローバル社会と日本

グローバル社会は、「フラット」な社会とも言われるように、そこでの人と人とのつながりは国境を無視した「タテ」型から「ヨコ」型になり、所属ではなく《私は何者か》、つまり世界から見える個人のありのままの姿、その価値と力量が問われます。人と違っていること、ユニークであることが強みとなり、ネットワークが、ヨコのつながりを持つことが、個人の大きな価値にもなります。

翻って、「タテ」社会と言われる社会構造がいまだに支配的な日本は、個人の力そのものよりも属性と肩書きが重んじられ、集団はできるだけ均質であることが常識とされ、現在でもなお、18歳時の1回の大学入学試験で、将来のかなりの部分が決まるという極めていびつな社会です。社会的な評価の高い大学に合格すれば、卒業時には新卒一括採用で官庁、「一流」企業へ就職でき、その後は年功序列、終身雇用の伝統が根強く残る中、よほどのことがない限り路線が変わることはない、と信じられています。ちなみに東大生の4人に1人は東京大学合格者数トップ10の高校の卒業生で、5人に2人がトップ20までの高校の卒業生です。しかもこうした学校には中高一貫制のところも少なくありません。また女子の比率は19%と主要大学の中では一番低い。こうした極めて均質な学生が、官僚組織や大企業へトップ予備軍として毎年、輩出されていくわけです。しかもこのことは社会の大学進学マインドに反映されていますから、それが年々繰り返されていくのはみなさんの方がよくご存知だと思います。

このような均質な単線型エリートは、多様なグローバル社会に対応できないばかりでなく、外部の変化にもきわめて脆弱です。私はこのことを、福島の原子力発電所に関する国会事故調で目の当たりにしました。詳細は『報告書』に譲りますが、そこでわれわれの出した結論とは、あの一連の事故は、ほぼ50年にわたる一党支配※4、年功序列や終身雇用といった官と産業界に見られる「追いつき追い越せ型」社会特有の組織構造、それを当然と考える日本人の集団思考(Groupthink)、つまり「マインドセット」に根本原因があるとするものです。「単線型のエリート」は失敗を恐れるあまり、決断せずに問題を先送りする。そこに無責任体制ができあがる土壌が広がります。一方で、それを不思議とも思わない日本人の思い込みも問題なのです。日本の「常識」は、時として世界から見れば「非常識」であることをわれわれは常に心しておかなければなりません。

さすがに上場企業の役員数でみれば、1985年、1995年、2011年で、東大卒は約4600人(1位)から2500人(1位)へ、さらには950人(3位)※5へと激減しています。しかし役所はそう素早くは変わらないでしょう、政治家も。これはなにを意味するのか、みなさんにぜひ考えてほしいと思います。

※4 長期的に見れば、政権交代、企業統治なども「集団主義」によっている限り責任感あるリーダーを生み出せていないことは歴史の示すところだ。
※5 『"学歴エリート" は暴走する』、安富 歩 著、講談社 +α新書

グローバル社会における大学での学び

グローバル社会の大学では、多様性を経験して多角的に自分や世界を見直すことや、対話と実体験を取り入れた学びがますます大事になってきます。予測不能の未来に備えて、次世代を担う若者が、国家を超えて世界の同世代と個々のつながりを深め、信頼関係を築いておく必要もあります。実際に机を並べて勉強し、ともに働き、様々な実体験を共有するのです。メールやフェイスブックなどだけで済ますことは決してできないからです。

こうしたことに気付いている世界の主要大学は、ここ10年で、海外留学や異文化体験の機会を増やすなど学部教育を大きく転換させてきました。日本の大学もようやくそれに気付き、改革を始めましたが、その差は大きく開いてしまいました。しかも世界の主要大学の多くは日本の大学とちがい、学部は一括入学とし、リベラルアーツ教育を通じて得意なもの、好きなことを見つける場と位置付けているため、その差は開く一方かも知れません。 

しかし悲観することはありません。大学での学びの主役はあくまでもみなさんです。最近では、アメリカの大学を中心にMOOC と呼ばれる無料のオンライン講義も急速に広がっています。その気になれば世界の大学の授業に触れることはいくらでもできるのです。オンライン講義が増えれば、教室は世界にオープンになり、先生に何かを教えてもらう場から相互の学びの場、先生も巻き込んだ「自分を発見する、自分をクリエートする場」に変貌していくはずです。みなさんは、そんな変化の新しい世界を生きていくのです。

★アメリカではこれが大学の定義になっていると言っても過言ではない。ハーバード大学は100年前に今のような形に改革された。またアメリカ、カナダでは医学部は日本とは違い、学部を卒業してから進む4年制のメディカルスクールになっている。

海外へ出よう

ではどうしたらよいのか。海外へ出てみるというのは一つの大変に有意義な選択肢です。勉強漬けもいいですが、春休みや夏休みを利用して短期でもいいからに海外へ出てみる。長期なら高校生にはアメリカンフィールドサービス(AFS)などというのもあります。そして大学へ入ったらまた海外へ出るのもいいでしょう。

組織に属さない「個人」の資格で海外へ出てみるメリットには3つあると私は考えています。一つは文化も言葉も違う人たちと会えること。もう一つは、自分が日本人であることを再認識し、あわせて日本の良さも悪さも見えてくること。そしてもう一つが広い視野で、より大きな関係性(コンテクスト)の中で、日本について感じとり、考えられるようになることです。じつはこれこそ、これまでの日本のタテ社会、タテ組織の政、官、財のリーダーに最も欠けている点なのです。

海外へ出ると、日本にいては見えなかったグローバル世界というものが見えてきます。そこにはワクワクするような世界の課題がいっぱい転がっていて、その中には必ず自分のやりたいこと、やってみたいことがあるはずです。それこそがみなさんが取り組むべきことではなのではないでしょうか。

私はみなさんのポテンシャルはかなり高いと思っています。周りの大人から元気がないと言われるのは、何事においても型にはめられ、興味や関心を押し潰されてきたからではないのか。まわりの大人たちの中に、自分が憧れ、目指せるような、心を満たせるような「ロールモデル」を見出せないからなのかもしれません。私はこれまで、多くの若者が海外へ出ることで自分の「したいこと」、目指す姿を感じ取り開花するのをこの目で見てきました※6。実際、彼ら自身も「個人」として海外へ出たことで自分が大きく変わったと言います。そして好きなことが見つかった時の彼らの行動力に、私はいつも目を見張らされるのです。

海外にいることが面白くなり、私のように長い間、日本へ帰って来ないのも一つの選択肢です。これからの世界では特にそうなる可能性は高いでしょう。しかし日本人であることには変わりはありませんし、そのことは日本にとってマイナスになるどころか、日本の価値を世界に「引っ張り出す」ためのおおきな力になるにちがいありません。一人ひとりが日本と世界をつなぐ「Dots」になる。そんなみなさんには、「世界の中の日本人」「日本の大使」というぐらいの気概を持てと、私はエールを送ります。将来を担うのはみなさんでしかありません。そして日本に今求められているのは、異端であることを恐れず、異論を唱え、出る杭になる人たちなのです。

※6 アントレプレナーシップとイノベーションを推進させるしくみとしてTED×Tokyo やImpactFoundation Japanの立ち上げから関わる黒川先生の周りにはユニークな若者が集まる。ティーチ・フォー・ジャパンの松田悠介さん、e-Education Project Japanの税所篤快さんなどの活動を構想の段階から支援する。

黒川先生が考える日本の大学の問題点

グローバル社会の進展に伴い、日本の大学の閉鎖性および国際競争力の低下が明らかになり、産業界や官界も危機感を募らせている。もっとも、産業界にも官界にも同様の問題はあるが。世界の大学ランキングにおいても地位の低下は否めない。グローバル社会では大学の序列も変わる。世界に視野を広げれば東京大学はNO.1ではないし、医学部入学を巡る熾烈な競争は、先進国の中では異常な光景としか映らない。

日本の大学では、訪れる留学生も海外へ出て行く学生も極めて少ない。外国人教員の少なさも際立つ。海外から留学生を呼ぶための英語による授業に至ってはないに等しい。学部は縦割り組織で、その上に乗る大学院は、トップ大学では自前主義がいまだに支配的で、囲い込んだ学生を型にはめて純粋培養する一種の家元制度が温存されている。教員も、《四行教授》とよく言っているが、職歴の少なさこそが権威の象徴であるかのようだ。女性教員の比率も異常に低い。これも大学に限ったことではないが。

日本の大学と教育界へ、黒川先生の提言

大学自体を根本から変えることは、大きな組織を変えるのと同じでとても難しい。だとすれば、国のお金が投入されている国立大学だけでも、強制的に全授業の20%を英語で、学生の20%を1年でもよいから交換留学生としてはどうだろうか。10%から始めてもよい。これだけでもずいぶん変わるのではないか。かつて日本で学部教育を受けた中国をはじめ多くのアジアの人たちが、母国と日本とのよい関係を作ってくれたように、彼らが国家間の信頼の構築に寄与してくれる効果は大きい。これは国家の安全保障の根幹にもかかわることだ。世界を大きな枠組みで、考えて、行動することだ。

Profile

政策研究大学院大学 アカデミックフェロー

黒川 清先生

1955年、成蹊高等学校卒業。1962年3月東京大学医学部卒業。東京大学医学部付属病院インターンを経て、1963~1967年まで東京大学医学部第一内科に勤務。医学研究科大学院にて医学博士取得。1969~1983年在米。ペンシルバニア大学などを経て、UCLA(Universityof California at Los Angeles)医学部内科の教授、1983年より東京大学医学部第四内科 助教授。1989年、東京大学医学部第一内科 教授。1996年、東海大学 教授、医学部長、2003年、日本学術会議会長、内閣府総合科学技術会議議員、2006年、内閣特別顧問、政策研究大学院大学教授。2009年11月より同アカデミックフェロー。日本医療政策機構、IMPACT Foundation Japan 代表理事も兼務。紫綬褒章、フランス共和国よりレジオンドヌール勲章 シュバリエ、旭日重光章など受賞多数。主な著書に『世界級キャリアのつくり方』、『大学病院革命』、『イノベーション思考法』など。

※この記事は、大学ジャーナル2013年7月号(Vol.105)に掲載された当時のものです。