トップが語る、「大学」と高校生へのメッセージ

京都大学総長 松本紘先生「高い山を築くなら、裾野を大きく広げよう」

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ノーベル賞7人、フィールズ賞2人、ガウス賞1人、これは京都大学出身、または長年京都大学で教えていた人で、理学、数学の世界的な賞を受賞した人の数。

京都大学はまた、近年にはiPS細胞を創成し、その研究拠点としても世界をリードしています。

さらに理系だけでなく、人文・社会科学においても、戦前戦後を通じて多くの碩学(せきがく)を輩出。

古都京都にあって、首都東京にある大学とは異なる、独自の学風を育んできました。

昨年10月、第25代総長になられた松本紘先生に大学で学ぶべきことと、そのために高校時代にしてきてほしいことについてお聞きしました。

京大が求める人材は少しぐらいの三振をしても大きなホームランを打てる人

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大学と一口にいっても、現在日本には様々な大学があります。一方、近年は大学の世界でも世界標準が意識され、すべての大学が学士力の基準を明確にし、4年間の学部課程の教育の質を保証しなければならないと声高に叫ばれるようになりました。このことに異論はありませんが、われわれのように研究を重視する大学では、研究の質を高めることも大切です。とくに学部の専門課程から大学院までを考えれば、研究と教育は不可分です。教育の成果を上げるためにも優れた研究が行われなければならないのです。

またそれぞれの大学の伝統や学風、置かれたポジショニングも大切にしなければなりません。京都大学では、文化の集積地である京都という世界的にも恵まれた好立地を活かして、首都圏の大学ではできないようなロングスパンの研究を大切にし、日々の短期的な成果に捉(とら)われないものの見方をじっくり育てるのも大きな使命の一つだと考えています。誤解を恐れずにいえば、少しぐらい三振してもいい、そのかわり大きなホームランの打てる人材を輩出することも、京都大学の使命だと考えています。

大学とは勉強に対する価値観を一度白紙に戻して構築しなおす場

大学とは、学生にとってまず自分を磨く場であってほしいと思います。決して将来のキャリア・アップのためだけの通過点ではありません。

大学は、これまでみなさんが経験してきた世界とはずいぶん違うと思います。とくに京都大学は、まずカリキュラムや教員の多様さからいっても高校までの比ではありません。また先輩や友人の中にはこれまで出会ったことのないような個性の持ち主もいて、時には自分がとても小さく見えることもあるでしょう。目指すべき方向性は共通しているが、中身やキャラクターは一人ひとり違う、それが大学のいい点であり、そんな仲間や先輩、教員と日頃(ひごろ)接することで自分を大いに磨いてほしいと思います。

勉強以外のスポーツや芸術に伸び伸びと自由に取り組めることも大学の魅力です。今はやりたいことを受験のために抑えている人も多いと思いますが、大学ではその重石もありません。次の就職というゴールはありますが、大学受験に比べるともう少し多様で、その幅も広いと思います。

反対に、自分の将来設計は自分で立てなければならないことを改めて認識する必要も出てきます。また、学び方も変えなければいけません。ゴールを目指しひたすら一本のレールの上を走るには、決まった手順や記憶に基づいて確実に正解を生み出せればいいかもしれません。しかし、大学で自分が没頭できる面白いテーマを発見するには、入学後、一刻も早く、それまでの勉強に対する価値観、フレームワークを変えなければなりません。私はこれを"unlearning"(それまで蓄えてきた知識や考え方、物の見方を白紙に戻す作業)と言っていますが、これまでの勉強に対する価値観やフレームワークをすべて否定しろというのではありません。自分が絶対と思ってきた物事にももっと多様性があることを知ってほしいということです。もしこのプロセスを経ないで、大学でもそれまでに自分で積み上げてきたものだけで勝負しようとすると、学ぶ成果は自ずと限定されてしまいます。

そもそも最先端の学問の成果というのも、刻一刻と変わっていきます。そこで重要なのは、全ての学問領域において正解は変わりうると、フレキシブルな考えを持つことです。

大学とは、これまで正解と思われていたことが次々と塗り替えられていく場、新しい知が生成される最前線なのです。大学では教育と研究とは一体だというのも、ここに根拠があります。そして次の時代の新しい知を生み出すのは、もしかしたらみなさんなのかもしれないのです。

大学では裾野を広げて

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大学では、入学までに抱いていた将来に対する漠然とした目標を、いよいよ明確にしていかなければなりません。しかし、そのためにどうすればいいのかわからない、という学生も少なくありません。確かに、授業を受けるだけではなかなか形にならないのも事実です。社会が求める人材と、大学の養成する人材との間にギャップがあるという指摘が、主に産業界を中心に上がってくるのはそのためです。それが、企業や産業界向きの人材を養成してほしいというメッセージではなく、様々なシチュエーションに対して柔軟に耐えうる人材を養成してほしい、適応力を身につけさせよ、ということならば、私は大賛成です。あわせて、これもよく言われますが、社会の一員として生きていくのに必要な発言力、発信力、対話力、いわゆるコミュニケーション能力を身につけることも、もちろん大切です。

戦略、戦術を立て、実行できるようになることも大切です。まず意思を持つこと、心を磨き、志を立てることです。どんな人生を送るのか、どのように社会に貢献するのか。目標を定めたら、次はそれに向かって全力で進むことです。何かに熱中する、何かをやり遂げようとすることで勢い、気迫が生まれます。すると初めて、知力だけでなくそれに耐えうる体力が必要なこともわかってきます。志、そして気迫、次に知力、その基盤となる体力を身につけてください。

いずれにしろ大学では、あらゆることにチャレンジしてみることです。高い山を築こうと思ったら、その分、裾野も広げておかなければならないでしょう。回り道だと思えることが一番の近道ということもよくあります。このことはみなさんわかっているとは思いますが、私の見る限り、やはりある程度意識的にする必要があります。たとえば自然科学系に進むにしても、人文、社会系の知識や、コミュニケーション能力を身につけることが大事なことはある程度わかっていると思います。しかし限られた時間の中で一見回り道に思えることをどうこなしていくのか。やはりこれは意識的にやらないとなかなかできないものです。

裾野を広げておかなければならないのは、何も学問の世界だけではありません。社会へ出れば、専門家同士の会話だけでは済まされないことがたくさんあります。自分の主張を誰もがわかる言葉で論理的に組み立て、様々な人を説得しなければならない。その力を決めるのは、自分が持っている知識や基礎的な能力、人間としての裾野の広さなのです。大学は全人教育の場だ、と一口にいうのは簡単ですが、実際は、回り道を厭(いと)わず、様々なことに興味を持って基礎力を広げる努力をその前提にしているということを知ってほしいと思います。

高校時代にはまず知識の集積をはかれ

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高校時代に身につけてほしいことは、ここから自ずと見えてきます。それは極めて単純で、受験科目だけでなく、他のすべての科目や活動もおろそかにせず、真剣に取り組むことです。頭だけでなく、体力も鍛える。体力には持続力と瞬発力がありますが、両方つけられればいうことなし、片方だけでも構いません。そういう私は、瞬発力は抜群で、持続力はありません。両方あればもっといい仕事ができたに違いありません。

そもそも、社会であれ、大学や高校であれ、必要とされる基礎力の基になるものは、記憶、知識の集積だと私は思っています。

よく数学や物理には、記憶よりも論理的な思考や独創性が必要だといわれますが、新しいことを創造しようにも、まず知識の集積がないと前へ進めません。最新の脳科学では、頭頂葉に注目が集まっています。ここが、優しさや人間らしさ、論理力、言葉でひとつひとつの事柄や物を結びつける能力、判断力(スイッチ機構)などを担っているのではないかというのです。しかし、そこを鍛えようと思えば、神経回路でつながれている各部分を鍛えるしかないことは誰の目にも明らかです。ネットワークの先に様々な情報が集積されていなければ何も判断できないからです。たしかに記憶はすべてではありませんが、判断したり、論理的に考えたりする際には、それらを総動員する必要があるのです。

だから暗記することも大事です。円周率を百桁、千桁暗記すること自体、あまり意味はないかもしれませんが、記憶のための神経回路を鍛えるという意味ではとても大事です。若いうちに鍛えておけば、記憶していることだけでも有利ですが、その回路が発達することで、他のことについても記憶したり理解したりしやすくなるというメリットがあります。知識を獲得しよう、暗記しようと必死になって努力すればするほど、そのプロセスは残るものですし、そういう訓練は若いときが向いているのです。

理系に進むにしろ、文系に進むにしろ、消去法で自ら選択肢を狭めていくのはとてももったいないことです。高校時代にはあらゆる教科を積極的に学び、様々な活動を経験して、自らの可能性を広げておいてほしいと思います。

誇り高い人を目指せ

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最後に一つ、本学を目指すみなさんに、ぜひ目標にしてほしい人物像を紹介します。それは誇り高い人です。そのためには、私のよく言う≪自鍛自恃(じたんじじ)≫の精神が必要です。

人に頼らず自らを頼って自分を鍛えるのです。

ただこれは口でいうほど簡単ではありません。自分に自信がないと自分に頼れないからです。こういう私も若い頃には自信など少しもありませんでした。しかし、それが普通の若者の姿だと思います。そのような若者に自信を持っていいと励ますのがわれわれの役目、言い換えれば大学の大きな使命なのです。

エピソードJ

Jはフランス語で青春を表すjeunesseの頭文字。お話をお聞きする先生方に、読者のみなさんの時代を振り返っていただいています。

「語学にしろ、他の教科の勉強にしろ、強固な基礎学力を形成するには自分の五感をフル活動させること」と、繰り返し記憶や感覚の大切さを説かれる松本先生。原点にあるのは小さい時からの特技、教科書の丸暗記。ただし普通の丸暗記ではない。落書きがどこにあるかまで見えているのだ。「もちろんすぐに忘れるけれど、繰り返している間にかなり長持ちした」と松本先生。大学ではそれで仲間に嫌がられたこともあったという。

先生が京大で選んだのは開設間もなく全国の俊英が集まる、工学部電子工学科。「きっといい会社に就職できるから」だ。子どものころ、手書きで参考書を用意してくれた母親や、教育に理解のある地域の人たちに、早く一人前になった姿を見せたいということもあった。 そんな松本先生の運命を変えたのが、学部から大学院時代にかけて、たまたま隣の研究室に来られていた恩師、大林辰蔵先生。宇宙物理学が専門で、国産ロケットの打ち上げから日本の宇宙開発に大きな足跡を残した。普通の研究者にはない広い視野とものの見方に惹かれて、松本先生の目標は企業人から研究者へ、興味は電子から遥(はる)かかなたの宇宙へと向う。

「覚えることが苦にならないのは何かにつけ有利だと思う。試験に何が出ても、全部覚えていたら対応できる。これは今、5択に慣れた人にはとくに必要かもしれない。もちろん忘れてもいい、忘れないと覚えられないからだ。でもプロセスは残る」。これが、これまで数々の独創的研究を行ってこられた松本先生の一つの原点かもしれない。

読み書きのリテラシーについて

高校生から大学生にかけての基礎的なリテラシー形成について少し触れておきましょう。 最近の学生を見ていると、情報化社会の進展で、確かにコンピュータリテラシーは行き届いているようです。反面、弊害も出ている。本を読まず、いろいろな人の話を直接聞くこともなく、インターネット上の情報をすべてだと思っている学生が少なくないことです。そんな彼らに日頃言っているのは、原典に戻れ、何でも鵜呑(うの)みにせずに自分の目で確かめよということです。そのためにも読書は極めて大事です。それも、できるだけ違った考え方に触れるために、たくさん早く読む習慣をつけることです。

そのための一つの方法として、私はよく、≪本を見る≫と言っていますが、キーワードを拾って著者の言いたいことを組み立ててみるのです。この読み方なら1冊15分から30分で読めますから、1日で数冊は読めます。そして自分の興味を惹ひく箇所は、あとで精読すればいいと思います。この場合は論理を自分で組み立てなくても、著者の言っていることをそのまま受け止めればいいわけです。速読と熟読という二つの読み方にはそれぞれ長所がありますが、若い時は前者をやらないとなかなか問題意識が起きてきませんし、それが収斂(しゅうれん)もしてこない。反対に、それはやればやるほど論理的思考が鍛えられると思います。

言語能力は対話するのに極めて大きな要素を占めます。どれだけの語彙(ごい)を身につけているのか、何種類の言葉を読めて話せるか。言葉でも、言葉遣いでも、TPOによってどれだけ使い分けられるか、などが問われます。

グローバル化時代ですから、複数の言葉を身につけておくに越したことはありませんが、まずは日本語の力をしっかりとしたものにすることです。一般的な国語的能力に加えて、古典を読む力、漢字の力も含めてです。そして、現在は英語全盛ですが、国際語を必ず一つはマスターしなければなりません。大学生になれば、さらにそれ以外に最低一つは必要です。その際、外国語で自分の興味のある分野について書かれたものを読むと非常にいい勉強になると思います。また、正しく発音する訓練も大事です。世間で一般的にいわれていることの逆かもしれませんが、自分がうまく話せないことはやはり聞けないからです。その証拠に、声に出さない語学の勉強というのは聞いたことがありません。≪無眼耳鼻舌身意≫といって、人間の認知能力を司るセンサーを順番にいった言葉がありますが、語学の習得ではとくに眼と耳が大事です。眼で見たものを、繰り返し声に出して耳に響かせ記憶の定着を図る。記憶が大事なのはあらためて言うまでもありません。

※"般若心経"の一節。眼耳鼻舌真意は感覚器官のことで六根と呼ばれる。意は事物を思量すること。心。

iPS細胞研究センター CiRA(サイラ) 2010年に新棟が竣工
京都大学iPS細胞研究センターの写真
京都大学iPS細胞研究センター

京都大学の山中伸弥教授のグループが、マウスiPS細胞(人工多能性幹細胞:induced pluripotent stem cell)の樹立に世界で初めて成功したことを発表したのが2006年8月。翌年11月には、ヒトの皮膚細胞からのiPS細胞作製の成功が発表された。

京都大学はiPS細胞の基礎研究から応用研究までを推進するために、2008年1月、物質‐細胞統合システム拠点(iCeMS)の一部として、世界で初めてとなるiPS細胞研究に特化した研究機関「iPS細胞研究センター」(Center for iPS CellResearch and Application:CiRA)を設立した。2010年2月頃には、連携をさらに進める再生医科学研究所や医学研究科、医学部付属病院などと近接する吉田キャンパス内に新棟が完成する予定だ。新棟は地上5階、地下1階で、延べ床面積は12000平方メートル。研究者間の活発な交流をめざして、オープンラボ形式が採用されている。

Profile

京都大学 総長

松本 紘先生

1942年生まれ。奈良県出身。65年京都大学工学部電子工学科卒業。67年同大学院工学研究科(電子工学専攻)修士課程修了後、京都大学工学部助教授、NASAエームズ研究所客員研究員、スタンフォード大学客員研究員、京都大学宙空電波科学研究センター長、同大学生存圏研究所長、理事・副学長などを経て、2008年10月より現職。学外では、国際電波科学連合会長、地球電磁気・地球惑星圏学会会長など歴任。2007年秋の褒章 紫綬褒章受章。専門分野は宇宙プラズマ物理学、宇宙電波工学、宇宙エネルギー伝送など。

※この記事は、大学ジャーナル2009年11月号(Vol.84)に掲載された当時のものです。