トップが語る、「大学」と高校生へのメッセージ

慶應義塾大学塾長 清家篤先生「社会を支える学問のために」

清家篤先生の写真

幕末から明治にかけて日本人の精神に多大な影響を与えた福澤諭吉。

慶應義塾は、その福澤諭吉が江戸で蘭学塾を始めた時を創立として、一昨年、150年を迎えました。慶應義塾はこの間、≪独立自尊≫をモットーに、一貫して私立大学のみならず日本の大学界をリードしてきました。

最近では、1990年に新しい構想による学部を湘南藤沢キャンパスに設立、2008年には共立薬科大学と合併するなど、まさに≪未来を先導する大学≫として、その地位を確かなものにしつつあります。

昨年の5月、塾長に就任した清家篤先生は労働経済学がご専門で、超高齢化社会や雇用問題について多くの著作を著されています。

人はなぜ学問をするのか、大学とはどんなところか、高校時代の過ごし方などについてお聞きしました。

人はなぜ学問をし、大学へ行くのか
『文明論之概略』から135年、福澤諭吉の実学

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勉強や学問をしても、世の中ではあまり役に立たないとか、学問と実社会とは別だ、といったことがしばしば言われますが、それは本当でしょうか。この点に関して、本学の創立者・福澤諭吉は、今から135年ほど前に著わした『文明論之概略』の中で、次のような興味深いことを言っています。

―薪(たきぎ)が燃えてお湯が沸くのと、人が呼吸をするのとが同じ原理によっていると考えられる人は少ない。見たところ、湯を沸かしているのは薪の火であるし、呼吸しているのは空気があるからだ。しかし、お湯が沸くのは空気中の酸素と薪の炭素が結合して熱を発するからだし、人は、空気中の酸素を肺に取り入れ、それを血中の炭素と結合させ、余った二酸化炭素を吐き出すことで呼吸している。つまり、どちらも酸素を炭素と結合させているという点では同じなのだ。そこで、酸素を二つの現象の≪遠因(えんいん)≫、薪や空気を≪近因(きんいん)≫ということにしよう。近因は目に見えることが多く、誰にでもわかりやすいが、遠因は見抜きにくい。しかし遠因は、探れば探るほど数が少なくなり、一つで多くのことを説明できるようになる。だから私たちは、できるだけ遠因を突き止めていくようにしなければならない、と(『文明論之概略』・巻之二参照)。

福澤はこのように物事の真の姿を見る態度、考え方を身につけることが、当時の日本にとって驚異とされていたヨーロッパ文明の真髄である科学(≪サイヤンス≫)をわがものとすることであり、それこそが≪実学≫だと主張しています。日本人よ、事物の真の姿や真理は学問をしなければ見えてこない、福澤はこう言いたかったのです。

学問が私たちの社会を支えている

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かつて人類は、太陽が東から出て西へ沈み、星が夜空を動くのを見て太陽や星が地球の周りを動いていると信じていました。しかしコペルニクスなどによって地動説が確立するに至って、日頃の観察や実感と真実や真理は違うことを知り始めました。新たな"遠因"の発見でした。もしこのことがなければ、ニュートンの力学法則も生まれなかったでしょうし、それを基礎にしたワットの蒸気機関の発明もなかったことでしょう。

ワットの蒸気機関はイギリスに産業革命をもたらしました。それまで農業や牧畜あるいは手工業ぐらいしか生産手段をもたなかった人類は、大規模工業によって生産性を飛躍的に高め、多くの人を養えるようになりました。それが近代工業国家を誕生させ、人口爆発を起したことは世界史の授業で習う通りです。

今日の自然科学の隆盛と、それに伴う物質的に豊かな私たちの生活は、ここからスタートしたといっても言い過ぎではありません。学問を通じて人は初めて事物の真の姿を理解し、その原理を応用して生活を豊かにする様々な装置、製品を作ってきたのです。まさに学問が、この社会を作り、変えているのです。

今日の豊かさをもたらしたのは人間の知性であり、それを持ちあわせていることが、人が人たる由縁です。真実は学問というプリズムを通じて初めて見えてくるともいえるのです。それにもとづいてのみ、われわれは社会を進歩させられるのです。

今日、みなさんの多くは大学に行きます。それは大学が学問をするところであり、その学問こそがこの社会を作り、支えている源になっているからに他なりません。

大学とは、自分の頭で考える能力を身につけるところ

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大学での学びは、高校までのように「勉強」といわずに「学問」といいます。大学とは一言でいうと、「自分の頭で考える能力を身につける」ところだからです。勉強が、先人の解決したことを習うことであるのに対して、学問は、答えのない問題を自分自身で見つけて新しい答えを生むことを目的にします。そのためには、見つけた問題について因果関係を考えて仮設を立て、それを検証していくための実証的な方法を学ぶことも必要です。

そのために大学には、大きく分けて三つの機能があります。

一つは、幅広い教養、学問に必要な語学や情報に関するスキルを身につけることです。これらは、一般教育とか教養教育と呼ばれ、大学で考えるべき問題、取り組むべきテーマを見つける際の手助けとなり、問題を掘り下げ、仮説を検証していくための論理力のベースとなります。また、理工系なら実験、社会科学系なら統計、人文科学系なら文献調査を通じて、主に3年生以上では専門のテーマを深く掘り下げていくわけですが、その際に必要な基礎的な知識や技術、手法を身につける場でもあります。さらにそれらは、過去に誰かが頭で考えたことが結実したものですから、それを学ぶことは過去の学者の考えた過程を追体験することであり、自ら考える際のシミュレーションにもなります。

二つ目は、各専門、専攻に進み、自分で選んだテーマについて学び、最終的にはそれについて卒業論文を書いたり、卒業研究を行ったりすることです。これまで誰も答えを見つけていない問題を見つける、つまり課題探求に始まって、次にその問題に関する仮説を立て、それを検証して最後には結論を出します。まさにここには、自分の頭で考えることのあらゆる要素が入っています。

こうした授業や研究に取り組むことに加えて、課外活動を行うことも、大学でのもう一方の柱です。例えば体育会活動。慶應の体育会の多くは選手が自主的に活動していて、どういう技術を高めるか、どんな戦術を立てるかなどについて、監督、コーチだけでなく、選手自らも考えています。練習で試したもののうち最も有効なもの、成功確率の高いものを試合に使う。つまり仮説を作りそれを検証し結果を出している。体だけでなく頭も鍛えることになりますから、考える能力を磨くとてもよい訓練になります。実際、これまで私の見てきたところでは、こうした活動を経験していることがビジネスの世界でも大いに役立ち、評価もされているようです。

今、やるべきことを当たり前にすることが大切

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今の教育では、高校生は大学進学のために忙しく、中学生も高校へ行くために忙しい。昨今は、大学生も3年以降は就職活動に忙しいと言ってもいいかもしれません。しかしこれは本来、あまり健全なことではありません。将来のことばかり考えて、今なすべきことが疎(おろ)そかになりやすいからです。

そもそも、将来のことなど、誰も正確には予想できませんし、何が将来よい結果をもたらすかもわかりません("エピソードJ"参照)。たとえ将来のためにと備えていても、大きな変化の時代では、それが必ずしも役に立つとは限らないのです。ですから私は、将来に備えてという話に踊らされるよりも、今やるべきこと、その年齢にふさわしいことをしっかりやっておくことの方が大事だと思っています。

それでは、高校時代に大切にしなければならないこととは何でしょうか。その一つは好奇心を持つということです。「なぜ?」という問いがない限り、解決すべき問題も見えてこないはずです。対象は自分の身近なこと、あるいは世の中全般にわたることでもいいですし、趣味に関することでもいいでしょう。そのためには幅広い読書やたくさんの体験を積むことも必要になってくると思います。もう一つは、仮説を立てたりするには論理的に考える力が必要ですから、そのための訓練として、たとえば数学的な素養を身につけることだと思います。

いずれにしても、大事なことは高校時代には高校生に求められる勉強、用意された課外活動に精を出すことが基本です。勉強でいえば基礎学力とされるものをしっかり身につける。教科書に書かれていることを学び、授業もきちんと聞くというごく当たり前のことを大切にしてほしいと思います。

高校の課外活動では、特に若いうちですからスポーツで体を鍛えるのもいいでしょう。各人各様に高校生活をしっかりエンジョイすることが大切で、その方が大学へ入ってからも力を発揮しやすいのです。大学へ入るための準備はもちろん必要かもしれません。しかしそればかりだと地に足が着かなくなって、貴重な青春時代をあまり謳歌(おうか)できなくなるのではないでしょうか。

これからの変化のスピードの速い時代では、みなさんが社会へ出て活躍している間にも、必要とされる知識や技術は次々と塗り替えられていくはずです。このような状況を生き抜いていくには、状況をその都度自分の頭で正しく理解し、次々に立ち現れる新たな課題を解決できる能力、言い換えると、常に新しい能力を自分で付け加えていける潜在的な力を身につけることがもっとも大切です。そしてそのための一番の近道としては、その時その時にしなければならないことを確実にこなしていく以外にはないと思っています。

☆興味のある人は近著『60歳からの仕事』(長嶋俊三氏との共著: 講談社)を。ここで清家先生は、これまでの働き方を50歳定年までの≪短距離競争型≫、これからの働き方を≪長距離競争型≫と呼んでいる。

エピソードJ

Jはフランス語で青春を表すjeunesseの頭文字。お話をお聞きする先生方に、読者のみなさんの時代を振り返っていただいています。

勉強にスポーツに、伸び伸びと高校時代を過ごした清家先生。大学では労働経済学を学んだが、具体的な研究は統計的な解析が中心だった。そのため、卒論を書くにも、基礎的な計算のため膨大なコンピュータ・プログラムを書かなければならなかった。しかし≪今はそんなプログラムも、小さなパソコンで一瞬のうちに処理できてしまう≫と清家先生。その時々で最適な選択をすることが必要で、未来のことは誰も予想できない。

私の職業観 「好きで選ぶか、得意で選ぶか」

勉強はいざ知らず、仕事においては好きだから得意、得意だから好きであるとは限りません。それに自分は何が得意なのかは、かなりやってみてからでないとわからないものです。よく天職などといいますが、18歳やそれ以前の段階でそれを見つけられるケースは稀だと思います。実際、子どものころから今の仕事に就きたいと思っていた社会人は少ないのではないでしょうか。

最初から面白くてやりがいのある仕事などというものもありません。多くの場合、最初はコピー取りなどから始めるのです。だから私は、ゼミの学生にも就職しても3年間は使い走りでも何でもじっと我慢してやりなさい、と言っています。多くの仕事は、最低でも3年はやってみないとその真髄の一端にも触れられないからです。

仕事を生き甲斐(がい)にするのか、生活の糧にするのかは人によって判断の分かれるところです。間違いないことは、職業人生イコール自分の人生ではない。仕事がうまくいかないからといって、人生終わりではないはずです。大事なことは、あまりキャリアといった言葉に拘らないことです。最初はつまらない仕事でも、やりだせば趣味や遊び、ゲームよりもずっと面白くなるかもしれません。スポーツと同じで苦しいときもあるけれど、同じように達成感ややりがいも感じられるはずです。もちろん好きで始めたことなら、つらいことでも我慢でき、得意になりやすいということはあるかもしれません。いずれにせよ、少しでも早くその面白さが見つけられればしめたものです。

Profile

慶應義塾大学 塾長

清家 篤先生

1954年生まれ。78年慶應義塾大学経済学部卒業後、同大学大学院商学研究科博士課程修了。同大学商学部助教授、カリフォルニア大学ロサンゼルス校客員研究員、慶應義塾大学商学部教授を経て、2007年同大学商学部長、09年5月に塾長就任。博士(商学)。専門は労働経済学で労働政策審議会委員などを務める。『高齢者の働きかた』、『60歳からの仕事』など著書・共著多数。青山学院高等部出身。

※この記事は、大学ジャーナル2010年4月号(Vol.86)に掲載された当時のものです。