トップが語る、「大学」と高校生へのメッセージ

東京大学総長 濱田純一先生「東大生よ、タフであれ-大学は未来を切り拓く力を身につける場だ」

濱田純一先生の写真

「ライバルは海外の大学」、その大きなプレッシャーの中で130年間に亘って日本の旗艦大学であり続けてきた東京大学。

幾多の激動を乗り越えながら、この間、政治・経済、学術研究の幅広い分野に有為の人材を数多く輩出してきました。

日本社会の至るところでこれまでの平和と安定、繁栄と幸福をもたらしてきた方程式に綻びが見え始めた今日、未来を担う若者、次世代のリーダーを目指す人たちへ、昨春から総長を務められる濱田先生からのメッセージをお届けしました。

未来に備えよ

総長就任以来、機会あるごとに語っている言葉の一つが「タフな東大生」、東大生よ、さらにタフになれというメッセージです。

大学は、今の時代だけではなく、次の時代をも視野に入れて教育・研究を行う場でなければなりません。大学生や高校生の立場からすれば、社会へ出てすぐに役立つだけでなく、20年、30年先にも通用する知識や能力、さらに言えばそれらを全体として捉えた人間力とでもいうべきものを養う場だと言えます。

わが国は、『失われた20年』とそれに続く長期に亘るデフレを脱却できず、経済的には低迷を続けていますが、戦後の高度成長期の蓄積もあって人々の将来に対する危機感はまだまだ希薄です。しかし、GDPや各種の経済指標、雇用情勢、また日本の国力の源泉ともいえる製造業の地盤沈下や空洞化など、みなさんの目からも、日本経済がいろいろなところで綻び始めているのが見て取れると思います。戦後60年、営々と築いてきた豊かな社会が、グローバル化の進展と人口構造の急激な変化などによって変調をきたし、国際社会における日本の地位も少しずつ低下しているのです。

誰も未来を正確に予測することはできませんが、私はみなさんが社会の中堅として活躍する20~30年後は、平和な今からは想像できないほど厳しい時代になりはしないかと気を揉んでいます。経済的な豊かさは平和の基本ですし、どんなものでも一旦下り坂に差し掛かると転がり落ちるのが早いからです。

一方で、これからの社会を支えていかなければならないみなさんの耳には、ゆとり世代で基礎学力に不安があるとか、豊かさの中で成長してきたため自ら学ぼうとする意欲や競争心が希薄なのではないか、あるいは核家族化や直接体験の不足から協調性に乏しくコミュニケーション能力も充分に育っていない、などの批判めいた声が届いているかもしれません。

これは必ずしも事実とは思いませんし、また、かりに事実の部分があったとしても、その多くは、あえて変化を求めない閉塞感あふれる今の社会に原因があって、みなさんに責任があるわけではありません。ただ、いずれにしても、20、30年後のことを考えると、困難な時代を迎えてから苦労するより、若いうちはいくら苦労してもいいのですから、今のうちに厳しい状況に立ち向かえるだけの体力、知力、精神力、つまりは人間力を養っておいた方がいいのではないかと私は考えるのです。

タフであるとは、タフになるためには?

高校までの勉強と大学で学ぶことの大きな違いは、大学ではまず、高校までに学んできた知識の意味、つまり社会における有用性や価値、日々の生活や身近な社会とのつながりを知るということです。加えて、高校までに学ぶ知識が、どちらかというと本来の知識の上澄みであるのに対して、大学では知識を生んだ人間や背景となった研究、またそれが生まれたきっかけなど、その奥行についての理解も深めなければなりません。他の知識との関連性や過去の知識とのつながり、それが属する体系とその中での位置づけについても知ることが必要です。知識の生まれつつある現場に身を置いて、その本質的な部分と出会うこともあるでしょう。知識の多くが、受験勉強のように正解があるものばかりではなく複数の答えを持つものであることを知るのも、大学で学ぶことの大きな意味でもあります。

しかし、大学で学ぶ最も重要なことは、知識を使えるようにすること、生きた物にすることを学び、さらにそれらを応用して社会に貢献しようという意欲や責任感、精神力を養うことです。タフであるかどうかが問われるのはまさにこの局面においてです。

国際舞台で力を発揮するためには、語学に長け知識が豊富であるだけでは不十分です。知識はそれ自体として価値があっても、力を発揮するのは社会的なコミュニケーションによってであり、逞しいコミュニケーション能力や交渉力がなければせっかくの知識も発揮できないからです。

タフであれという言葉に、私は大胆な行動力を持った人間、リスクを取れる人間を目指してほしいというメッセージも託しています。これまでのように安定した社会が続く時代には、従来からよくわかっている世界で、大人しくしていることが出世の早道であり、生活の保障にもつながったかもしれません。しかしこれまでの価値観が通用しなくなるような状況においては、そもそもそのような生き方自体が可能かどうかがまず疑問ですし、たとえそうでなかったとしても、国や社会のリーダーを目指す人には、リスクを取ってでも新しいことに取り組んでいこうという姿勢を持ってほしいのです。まして、国が大きな投資をしている大学で学ぶのであれば、社会に対して相応の責任を負っていることも自覚しておかなければなりません。

知識を蓄えれば蓄えるほど、リスクにチャレンジするテクニック、一種の安全弁とでもいうべきものも身につけられるはずです。入試の難易度の高い大学へ入学できればそれで終わりではなく、予測される厳しい時代に照準を合わせて、入学後も自らを鍛え、リスクにも敢然と立ち向かっていこうという心構えを養ってほしいと思います。このことは、未来をその肩に担おうと考えている高校生であれば、東京大学を目指す目指さないにかかわらず、真剣に受け止めてほしいことなのです。

高校時代は幅広く学べ。詰め込みも必要

基礎学力という言葉は様々に解釈できますから、安易に使うことにはためらいがありますが、とにかく高校時代までは幅広く学んできてほしいと思います。

もちろん現在の日本の進学システムでは、厳しい大学受験がありますから、高校時代の一時期、それに備えて学ぶ範囲を一旦絞り込まなければいけないかもしれません。文系へ進むのに理系へ進むのと同じぐらい深く理系の勉強ができるのは理想ですが、そこまでの余裕があるとは思えません。ただ文系へ進むのだから、理系へ進むのだからと、入試にあまり関係しない教科を軽んじるのではなく、それぞれの教科の基本的な考え方、センスがわかるぐらいのところまでは、学んでおくべきだと思います。

ちなみに大学へ入ってからは、教養課程で間口をもう一度広げることができます。そして3年からの専門課程では再び絞り込む。また、マスターやドクターコースへ進む場合は、各段階の前半では絞り、後半、特にドクターコースの後半では専門の深化と同時に、再び間口を広げることも期待されることがあります。経験的には、このように時期に応じて学ぶ範囲を広げたり狭めたりすること、大学、大学院で専門と教養のバランスを取りながら学ぶプロセスはとても重要だと思います。

大学では知識の意味やつながり、奥行きを学び、その体系化を図るわけですから、高校時代にはできるだけたくさんの知識を身に付けておくことも必要です。元となるものが少なければ、結びつけようにも限りがあります。当然、それを詰め込むことや習得するための基礎的なトレーニングも重要です。それ自体が目的になっては意味がありませんが、それを通じて得た知識を他の知識につなげて発展させ、自分の求めるテーマに生かしていくという目的のもとに行われるのなら、大いに推奨すべきことです。

雑学もまた

幅広く学ぶ際には、体系立てることをあまり考える必要はありません。対象も教科書的なものに限らず、日常生活の中にも転がっているようなものまで含めていろいろあっていいと思います。大事なのは「何でも知ってやろう、経験してやろう」という態度です。そうして学んだことは、若い間は無理としても、ある程度年を取ってくるとみなどこかでつながってくることがわかります。雑学といえども侮れないのです。

私自身、高校時代は地理や歴史が好きだったし、蒸気機関車を追っかけたりもして、日本各地を旅しました。場所が変わると空気も環境も異なり、新しい人や知識にも出会え、学校や大学での勉強にも大いに役立ちました。テーマを選ぶのは興味本位でいいですし、学び方は詰め込みであろうがなんであろうが構いません。若いうちは、とにかくたくさんそういう経験をすることが大事だと思います。

雑学のいいところは、自分の興味から入れて、しかも範囲が明確でない分、将来、色々な方向へ広がっていく可能性のある点です。大学の授業では非常に幅広い知識をまとめ上げ体系づけることを学びます。どんな物にも奥行きがあって、どのようにも結びつけられるという感覚や、結びつける力そのものを身に付けますから、知識を増やしてさえおけば様々に応用が利くのです。しかも、このような経験をしておくと、社会へ出てから、知識というものに対する評価や、その取り扱い方が的をえたものになってきます。

目指せ、世界を担う知の拠点

みなさんはこれから、今まで経験したことのないような厳しい時代に出会おうとしているかもしれません。しかし、今からタフな自分を作るべく様々なトレーニングを行い、リスクを取ることを辞さない心構えを養っておけば、何も恐れることはありません。下り坂とも見える社会をどう手当てするかではなく、もう一度作り直そうというぐらいの、上へ伸びる気持ちで立ち向かうのです。反対に、そういう姿勢がなければ、未来をしっかり支えていくことなどできないのではないかと私は思っています。

一方、日本の科学や学問は今、国家予算の削減などで厳しい状況に置かれています。大学の舵を取る立場からも事態は楽観視できません。しかし、学問というのはいつの時代においても国や社会を支える究極の力であり、一人ひとりを意味ある存在とする本質的な力です。学問が衰える時は国も社会も個人も衰えていきます。しかし近代の歴史で、知識を基盤として発展してきた日本という国が、自らを衰微させる選択をするはずはありません。このことは、みなさんにだけでなく、何に頼ればいいかがわかりにくくなっている社会全体に耳を傾けてほしいことでもあるのです。

国内での厳しい状況に加えて、海外の大学との競争も一段と熾烈になってきましたが、東京大学はこれまでと変わらず「世界を担う知の拠点」を目指し続けます。日本全国から、男女を問わず多様なバックグランドを持った高校生のチャレンジを待っています。

Profile

東京大学 総長

濱田 純一先生

1950年生まれ。1972年東京大学法学部第二類(公法コース)卒業。1978年同大学大学院法学政治学研究科公法専門課程博士課程単位取得退学後、東京大学新聞研究所助教授、東京大学総長補佐、東京大学社会情報研究所教授、同所長、東京大学大学院情報学環長・学際情報学府長、東京大学理事・副学長を経て、2010年4月より現職。『情報学事典』、『メディアの法理』、『情報法』など著書、共編著多数。

※この記事は、大学ジャーナル2011年1月号(Vol.91)に掲載された当時のものです。