Special 対話がひらめきを生む シリーズ特別編 未来を担うために「自由」をキーワードに読み解く

大学が求める力、高校で培う力。

出席者の写真

(写真右から)
筑波大学附属駒場高等学校 副校長 宮崎 章 先生
灘高等学校 校長 和田 孫博 先生
京都大学 総長 松本 紘 先生
東京都立西高等学校 校長 石井 杉生 先生
武蔵高等学校 校長 山﨑 元男 先生

●コーディネータ
(株)森上教育研究所 所長 森上 展安 さん

近年の様々な統計によれば、日本の国際競争力は 経済力を表すGDPをはじめ、
次の世代を育成するための教育投資、またその成果などで、かつての地位を失いつつあります。
こうした状況の中で、今の高校生に求められる力は、そのまま未来の豊かさ、
活力を維持するのに求められる力だと 言ってはいいすぎになるでしょうか。
日本の大学の頂点の一翼を担う京都大学の松本紘総長と、日本を代表する高等学校のトップの先生方に、
これから未来を担おうという人たちに求められる力について、語り合っていただきました。

自由、自主、自律と教養教育(リベラルアーツ)

森上:リーマンショック以降、私たちは社会の急激な変動というものに、改めて気づかされました。教育機関にはそんな社会を横目にたゆまぬ人材養成が求められますが、一方で大学、高等学校の新卒の内定率の急低下など、社会と無縁であることもできません。

まず、最も社会の変化の波を受けやすい大学で、その舵取りをなさっている松本先生からお話しいただきたいと思います。

松本先生:大学には教育、研究、社会貢献の三つの使命がありますが、中でも最も期待されているのは人材養成だと思います。そのためには研究現場に学生を参加させることが大事です。よく、教育と研究をわけて考えて、大学は充分に教育をしていないという批判を社会や高校から受けますが、この二つは分けられない、少なくとも京都大学はそう考えています。

そもそも社会に出て役立つ力には、大学へ入るまでの力も大いに関係してくる。だから大学としては、独り立ちして社会へ出て行ったときに、一番長持ちする知識や考え方は何かを考えているわけです。それには、研究現場で、学部生なら卒論や卒業研究と格闘する、大学院生なら研究の最先端で世界を相手に持てる力を全てつぎ込んで勝負する経験が欠かせないのです。その過程で何のために研究するのかを考え、どうすればいいのかと試行錯誤することが、将来、社会で様々な困難に出会ったときの大きな支えとなるからです。

社会の変化にどう対応するかについては、不易流行という言葉があるように、変えてはいけないもの、変えなければならないものはそれぞれ何なのかを考え、どう選択するかの知恵が求められていると思います。

森上:各高等学校の先生方はいかがですか。まずは自校の取組とその上でお感じになっている課題についてお話下さい。

宮崎先生(筑波大学附属駒場高校副校長):筑駒は「自由」ということを大切にして60年間やってきました。どこの大学に入るかよりも、10年、20年先にどんな生き方をするかを考えさせていきたい。中高6年一貫教育のもとで、中学入学時点から学問の面白さを伝えたり、さまざまな経験をする中で、6年かけて自分の将来を考えさせています。

学業だけでなく、行事とクラブ活動を重視しているのも本校の大きな特徴です。行事では、11月の文化祭がメーンイベントとなり、卒業生に「何が一番の思い出?」と聞いてみると、文化祭という答えが返ってくるぐらいで、文化祭を経験しないと筑駒生ではないと生徒たちは自覚しています。授業で教員から教わるだけではなく、行事に携わることで様々な困難や課題にぶつかり、悩みながらもそれを克服していくことで生徒たちは育っていると考えています。

しいて課題をあげれば、世の中全般と同様、IT化の中で本を読まなくなっていることでしょうか。学校としては、国際化についても、これからの課題です。

和田先生(灘高校長):本校は昭和3年、柔道で有名な東京師範学校の校長でもあった嘉納治五郎が顧問となって創立されました。戦後は5年制の中学校が6年制の中学・高等学校になった。「精力善用・自他共栄」が校是。前者は自分の長所短所をしっかり自覚して、周りの人の力を利用して、小さな体で相手を投げ飛ばすという柔道の極意をいったもので、自分に合った勉強の仕方、たとえば爆発型なのか、コツコツ型なのかなどを自分で発見していくことと解釈されています。後者は、自分が今あるのは自分一人の力によるものではないのだから、体を作ってくれた両親がいて、しっかり指導してくれた先生、試合で勝ったり負けたりするライバルがいるからこそで、他者とともに生きる精神を忘れてはいけないという意味です。自由と自主を重んじ、自由の中で自分なりの規制を持って、自律心を育てることを大切にしています。

現在の教育の最大の問題は、戦後、それまで5年制だった中等教育を、前期課程、後期課程の3・3制にしてしまったことだと思います。カリキュラムの体系が分断され、数学にしても理科にしてもそのつながりが危うい。他にも思春期の子どもたちにとっては一貫制の方が良い点も多いと思いますから、公立中高一貫校を作っていく中で、国は3・3制とは別に6年制のカリキュラム編成を認めてほしい。

森上:本日、唯一共学で、しかも教育期間が3年の西高の石井先生お願いします。

石井先生(都立西高校長):学校のカラーは他の先生方のところとも似ていると思いますが、3年の教育期間で、男女共学、公立である点が大きく違うと思います。この中では一番、多様な生徒がいるのではないでしょうか。多様な価値観が共存できている学校で、いろいろな事をお互いに認め合えるのが本校のよさだと思っています。

教育目標には文武二道による全人教育や自主・自律を掲げていて、勉強だけでなく、学校行事や部活動も活発です。細かい校則はなく、都立の中では自由度が高い学校でしょう。ただ自由とか自主というだけで放任するのではなく、学校は学校として明確な価値判断を示すべきだと私は思っています。それを一つの価値基準として、それをどう受け止めるかは生徒に任せる、これが本校の自由です。だから、必修部分と選択部分とはかなり明確に分けて、その中で生徒の自主性・主体性を育てていこうと考えています。たとえば、土曜日は、教育課程外で、教養講座を受講したり、キャリアガイダンスに参加したり、部活動もできますが、それらの中から選択させています。

課題は、入ってくる生徒の自主性・主体性が少しずつ弱くなってきていることでしょうか。

山﨑先生(武蔵高校長):中等教育機関の役割は、思春期という大事な時期を過ごす生徒を育てるという意味でたいへん重要です。また大学入試の影響を受けやすいという特徴があります。

1979年の共通一次からセンター試験全盛の今日、大学だけでなく学部学科にまで序列化が進んできました。受験対策も一層進み、中等教育機関の評価もどこの大学に何人入ったかという偏った基準が主流になってしまいました。そんな中で、大学の合格者数ではなく、進学者数のみを公表することにしているのは、私学では武蔵だけではないでしょうか。学校としては不利な態度ですが、評価の一元化に意義を唱えたいからです。

教育の特徴としては、戦後、旧制高校がそのまま高校になった唯一の学校として、教養教育、リベラルアーツを大事にしています。大学入試とは関係のない第二外国語を、中学3年生から入れているのはその典型です。フランス語、ドイツ語、韓国語、中国語の4つで、日本語と英語以外に第3の言語を学ぶと自分の立ち位置が分かります。高2で終わりますが、高3で希望者には当該国へ研修留学をさせています。8週間、原則一つの学校に2人ぐらい送る。創立の「三理想」の一、二番目は世界で活躍することを謳ったものですが、それを制度面から後押する形にもなります。ちなみに三番目は「自ら調べ、自ら考える」で、これはこれからの社会でこそ求められる態度だと思っています。最近気になるのは、何かにつけそこそこでいいやという生徒が増えてきたこと。“志”、“気迫”が欠けている気がします。

森上:実にリベラルな校風の学校ばかりのようですが、最初に戻って松本先生に一言お願いします。

あらためて自由の意味を考えたい

松本先生:一通りお話を聞いていて、いみじくも私どもと同じような教育理念を持っておられるなとうれしく思いました。

私どもは、高校だけでなく、幼稚園から小・中学校も含めて千差万別のパーソナルヒストリー、どんな教育を受け、その成果がどれだけ貯まっているかを見たいわけですが、今の学力偏重の入試に対しては、私も含めて教員の多くは苛立ちを感じている。もちろん大学ですから研究をしなければいけないし、大学自身も厳しい競争に晒されていますから、ひらめきのある優秀な学生は欲しい。しかし一番大事なのは、研究現場に放り込まれて、たとえ成果が出せなくても、自分の力で考えられる人材を世に出すことです。そういう意味では、先生方のお話をとても心強く思いました。

私は奈良女子大学の附属高校の出身ですが、それまでの公立中学よりもさらに自由な校風で、当時は何も指導をしてくれない、勝手な学校だと思っていました。しかし今振り返るとよかった。先生方が今おっしゃっておられたことをきっと身につけたのだと思います。また授業以外でもハムレットの演出をやらされる羽目になったことなどは、ものすごく印象に残っていますし、今も感謝しています。

しかし、山崎先生が言われたように、今の効率優先の進学競争の中では、かつてのような余裕が生徒にないのではないか。新入生に接してみると軟弱で、入学するためにもてる力を伸ばしきってしまったのではないかと思わせる学生も多い。ある程度の成績を上げていれば大学へ行けて、大学に入ればあとは順風満帆な人生が送れるというイメージを持っているからかもしれない。それは決して本学、少なくとも私が求めている学生ではありません。私たちがほしいのは、大学へ入ってからも余力のある学生です。

といって、高校までの記憶、記聞という基本的な努力は絶対に必要だと思っています。つまらなくても、なぜかわからなくても、すでにある知識は頭の中に叩き込む。学問の世界では、それだけでは通用しませんが、それがなくてはまた新しいことはできません。「守破離」といって、高校から大学へかけては《破》や《離》を始めなければいけませんが、それには《守》を経験しておかなければならないのです。

ところで社会にも「守破離」はあります。どの社会も成熟してくると伝統を離れて《離》に入ってくる。日本も例外ではない。しかし今の日本は独自のものを生み出せずに停滞しています。ただ、社会が安定しているから、水平状態をわずかに上昇し続けていると思っている人が多い。まだ日本は大丈夫、経済大国だと。しかしこれはたいへんな勘違いで、今や経済力を示すGDPはかつての2位から後退してしまっている。しかもこの10年で伸び率0の国は、世界で北朝鮮と日本だけです。

子どもたちは親を見て周りを見て、新しいものへのチャレンジなど、特に何もしなくていいと思い、学生にも未来に対する危機意識は薄い。それを教えていくのはわれわれです。これからは自分の力で、自分の足で立っていかなければならないことを自覚してもらう必要があります。そういう意味からも、高校時代から熱心に教えてくださっている学校から、優秀な生徒さんをたくさん大学へと送り込んでほしいと思います。ただ残念ながら、先生方は自由を大切にしていると言われる高校のわりには、日本で一番自由な大学と自負している京都大学へあまり生徒さんを送っていただいていませんね。

もちろん自由といっても、それは気随(きずい)・気儘(きまま)とは違います。気随や気儘は誰でもできる。大事なのは自分で考え、自分を律し、自分から学ぶことです。京都大学には自学自習、自重自教、自得自発など、自由と自主性を重んじる言葉がたくさんあります。体を鍛え自らに恃(たの)むという大切なことも含めれば自鍛自恃(じたんじじ)という言葉も加えることができます。これを機に、「自由」ということをぜひ一緒に考えてみたいと思います。

それと、東京もいいでしょうが、古都・京都にも目を向けていただきたい。確かにここもそうですが、建物については東京は素晴らしい。しかしロサンゼルスには勝てませんし、すでに上海には抜かれています。世界で日本が唯一負けないものは日本人の心です。それを一番感じてもらえるのが京都です。多感な青年期に、ゆとりのある街で歴史、文化に触れ、学問することはとても重要ではないかと思っています。

進路選択と大学入試

森上:一学年の半分以上がお近くの東京大学(駒場)へ進学される筑駒の宮崎先生からいかがでしょうか。

宮崎先生:お隣へ半分以上進学するというのは安易な選択かもしれません。一つには親御さんの期待が大きい。大学選びの理想は、どこにでも行ける力を持っていて、この分野に進みたいからあの先生のところへ行こうというものだと思います。しかし、東京大学へ行っておけば間違いないという考えがある。日本の大学がまだ八ヶ岳型になっていないからです。アメリカでいえば何が何でもハーバードではなく、こういう分野ならプリンストンだとか、これをするならスタンフォードだとか選択肢がいろいろある。日本は国の制度もそうなっていなく、東京大学に一番多くお金も流れてしまう。

国立大学法人化以降は、大学との連携が重視されるようになってきました。5~6年前から、高校受験のない利点を生かして、中学3年生のときに、進路を考えるきっかけ作りということで筑波大学の研究室を訪問するようにしました。大学とはどういうところなのかを見ることができて、とてもいい刺激になっています。

和田先生:うちでもかつて、高校3年から文系・理系に分けていましたが、共通一次がセンター試験に移行した頃から、高校2年の社会や理科が危うくなってきた。大学入試は関係ないとは言いづらくなって、現在では高2から文理分けをしています。やはり制度の影響は大きい。さらにいえば、自校の中・高入試もそうなのであまり言えませんが、合否が1点差、いくつかの大学では0.0いくつの差で決まることが根底にあると思います。日本ではそれが公平だという風潮が強いが、いつまで続けていけるのかと危惧も感じています。

もう一つ気になるのは、世間の流れとは逆かもしれませんが、理系志向が進んで、文系の人気がないこと。男子校だからかもしれませんが、将来日本を支える文系の人材が痩せ細らないか心配です。

松本先生:理科離れとは逆ですね。

和田先生:その上、医学部志向がますます強くなっている。

森上:関西は特にそうですね。

和田先生:入った瞬間に職業が見えるからでしょうか。もちろん立派な職業でもあります。ただ、あまり加熱するようなら医学部をやめてメディカルスクールにするとか、他の理系ももっと卒業後の職業が明確に見えるようにするとかが必要ではないでしょうか。もっとも、ハーバードでも入った瞬間に初任給が見えると言いますから、職業が見えるところに行きたいという気持ちはわからないでもない。

松本先生:うちの医学部のガイダンスでは、医学部長が本当に人の命を救いたいと思っている人以外は来ないでほしいと言っています。将来の所得を考えて選んでいるのでしょうか。

和田先生:生徒にすれば職業が見えるからですね。

松本先生:レールの上を走るのに慣れているということですか。はずれると不安になる。

森上:石井先生お待たせしました。

石井先生:都立の中では、京都大学に進む人数は少なくないと思っています。少し変わったところではアメフト部に入りたくて入学するという生徒もいる。彼らは勉学ということに関しては未開拓ですから、鍛えれば育つと思います。

自由ということでいうと、私は京都大学で学問することの厳しさを教えて頂いたので、自由だから京都に行ったらとは薦めていません。

松本先生:自由といっても、真理の探求に関して選択肢が多いということ。また、時の権力に迎合しないで立派にやっている人が多いということですね。

山﨑先生:校長の前は国外研修の委員をしていて海外も長かったのですが、どの国の人も、大学の入試制度には満足していない。韓国では兵役のこともあるが、夜中の2時ぐらいまで塾で勉強している。やはり入試の見直しは、常にしていくべきだと思います。

近年では、大学が受験科目を減少する傾向が気になります。また、大学進学率が55%に近づく中で、安易な入試も増え、大学生の学力の低下が進んでいる。AO入試などは入ってからどう教育するかという道筋を示してから始めるべきだったと思います。

ところで私は個人的には京都大学が好きですが、山中伸弥先生は1年生の授業をお持ちですか。

松本先生:学部を超えたポケットゼミというのがあって、研究所も含めて、最先端の研究に携わっている先生方が教えています。1クラス10名程度で、1回生の約半数がとっている。

山﨑先生:イエール大学では、担当者に聞くとノーベル賞、フィールズ賞受賞者も必ず1年生を教えることになっているそうです。背中を見て育つではありませんが、教わる内容よりも間近に接することに意義があるのだと思う。

松本先生:ノーベル賞のない分野もありますから、ノーベル賞だけに限定する必要はないと思いますが、ユニークな研究者に教えてもらうことは大事だと思います。ポケゼミでは若い助教も教えていますし、海外に行くクラスもある。

見たいのは積分値の力

松本先生:入試についていうと、今は幼稚園からでも塾に行っている。教え子が言っていたが、子どもがある進学校に入ったけれど何も教えてくれない。でもその高校に入るといい塾に行けるからいいんだと。驚きを越えたことです。

森上:最近はとくにそういう傾向が強い。

松本先生:日本は大学に入るのが難しいからでしょう。アメリカでは入るのは日本ほど難しくないけれど出るのが難しい。バークレーは入学者の4分の1ぐらいしか卒業できない。しかし、たとえ進級や卒業ができなくても受け皿となる大学があって、日本のように退学者、落ちこぼれの烙印を押されることはありません。努力次第で敗者復活もできます。

日本は国が大学生の定員を厳格に定めていて留年もさせにくく、それを恐れて卒業させてしまえば教育の質が問われかねない。

韓国、中国もそうですが、学力重視の入試には、大勢の中から優秀な人物を政府の高官として選ぶという科挙の伝統が根強く残っている。大学が少ないうちはこの方法でもよかったが、今では厳しく試験をしないで選ぶという方法と混在してしまって、いろいろなところで矛盾が露呈しています。だから、大学入試を変えない限り、高校、中学、小学校、幼稚園の教育は変わらないのではないかと思っています。

このことは人材養成の観点からは将来の国力の伸張につながってくるし、一人ひとりの人格形成にも少なからぬ影響を与えるから、とても重要です。しかしこれまで、大学単体として、入試を変えたいというマインドはあるものの、根本的な改革には全く手がつけられてこなかった。入試改革は時間がかかりますが、ワーキンググループを作り、私の総長の任期中に入試改革のレールを敷くところまではやりたい。もちろん国や他の大学との調整も必要ですが。

個人的にはあらゆる教科の取組を評価できるようなものが理想です。私は高校時代、日本史を明治までしか教わらなかった。大学でも日本史の勉強はあまりできず、大人になって勉強しましたが、そのままだと世界へ出て行っても恥ずかしい。
国際会議では理系の研究者でも哲学の議論までできる人が多いからです。だからこそ全人教育というものが必要ですが、それも基礎学力があっての話。それを測る意味でも、小、中学校、高校の普段の成績を勘案した入試が必要だと思います。長い期間で学んだことの、言ってみれば積分値を評価するようなシステムです。もちろん今のAO入試とも違う。

宮崎先生:アメリカが何でも素晴らしいというわけではないが、今の日本の大学でのAO、AC入試はあまり上手くいっていないと思います。欧米とは金のかけ方も違うし、専門のスタッフも少ない。

松本先生:学力は一発勝負では評価できないと思っています。センター試験で風邪を引いたら終わりですから。といって、専門のスタッフでも1回や2回会ったぐらいでは人物は見抜けない。やはり日ごろからしっかり見ておられる高校の先生の各段階での評価をいただいて、ある程度できる子なら入学させ、入学してから頑張ってもらうという制度にしていくべきだと思います。そうでないと、ますます袋小路に入り込むのではないでしょうか。

宮崎先生:今は、推薦入試もうまく機能しなくなっている。何をやってきたかということを含めて推薦の仕組みにも問題がある。

松本先生:推薦ではなく、一校で10傑なら10傑を選んでいただいて大学が面接させてもらう。成績表を見れば、ある程度何をやってきたかはわかると思う。それなら一瞬の微分値ではなく積分値を見ることができるのではないか。そう簡単ではないでしょうが、その方が大学へ入ってから伸びませんか? 

和田先生:アメリカのトップの大学にも例年2、3名志願しますが、向こうは高校をものすごく調べている。ただ推薦書にはやはり美辞麗句が多いようですから、国立大学などが一緒になってある程度共通の基準を設ける必要はあると思います。それと東京大学の後期のように、まず人数を限定して始める方法もある。

松本先生:定員に関しての自由度も必要。改革当初は出口での審査が必要だが、それがしにくい。あまり留年させると定員オーバーだと言われてしまいます。

やはり高等教育と初等・中等教育とが協力して、どういう人間をどれだけの割合で日本として育成するのかということを真剣に議論していかなくてはならないと思います。

石井先生:今の積分値の考えはありがたいと思います。ただ、ここ10~20年の大学入試の改革は、2、3年で対策をとられて、改革の主旨がなし崩しにされていると思います。本校では、大学受験に絞った授業をするのではなく、できる限り広く、高校時代に学ぶべきことは学んでほしいと思っています。たとえば、高校2年までのカリキュラムは文系、理系と分けずに同一を堅持していて、文系の生徒でも数Cまで履修する形になっています。その方が入ってから伸びると大学からは評価されています。

松本先生:われわれからいうと、普段の先生方の教育を信頼するということになるわけです。その方が教育する者としてはお互いにやりがいがあると思う。ただ一つ気になるのは、平等イコール公平であるという社会の風潮。対象となる高校をどう選ぶのか。機会均等の問題が出てくる。もちろんそれは大学を出るまでの話であって、社会では通用しない。ましてグローバルスタンダードの下ではなおさらです。ただこれは社会全体で考えてもらわないと一校一大て留年もさせにくく、それを恐れて卒業させてしまえば教育の質が問われかねない。

韓国、中国もそうですが、学力重視の入試には、大勢の中から優秀な人物を政府の高官として選ぶという科挙の伝統が根強く残っている。大学が少ないうちはこの方法でもよかったが、今では厳しく試験をしないで選ぶという方法と混在してしまって、いろいろなところで矛盾が露呈しています。だから、大学入試を変えない限り、高校、中学、小学校、幼稚園の教育は変わらないのではないかと思っています。

このことは人材養成の観点からは将来の国力の伸張につながってくるし、一人ひとりの人格形成にも少なからぬ影響を与えるから、とても重要です。しかしこれまで、大学単体として、入試を変えたいというマインドはあるものの、根本的な改革には全く手がつけられてこなかった。入試改革は時間がかかりますが、ワーキンググループを作り、私の総長の任期中に入試改革のレールを敷くところまではやりたい。もちろん国や他の大学との調整も必要ですが。学だけではどうしようもないでしょう。

山﨑先生:偏差値にとらわれない入試問題を作りたいと思っていますが、塾からは合否の予測がつかないと嫌われる。積分値で生徒を見たいというのはとてもよく分かります。しかし、アメリカでは高校時代のボランティア活動やクラブ活動を重視し、推薦文は3通必要で、同窓生が数人で面接するというのを制度化して、しかも評価基準を明らかにすることとなっていますが、そうなると石井先生が言われるように対策が立てられてしまう。有名大学へ生徒をたくさん送っている高校に入るためのプレップスクールなどでは、そこへ入るために小学校からバイオリンを教えたり、ボランティア活動を強制的にやらせたりしている。積分値を見るにしても、評価基準をはっきりさせなければならないから、何を見るかが重要だと思います。

松本先生:そこが難しい問題ですね。

大学に期待すること、京都大学への提案

森上:この機会に、OBの先生もおられることですから、京都大学への注文や提案などをお話し下さい。

和田先生:私は文学部の出身者ですが、ある文学部の先生が同僚の結婚式のスピーチで、《放牧》をする大学なのに最近は授業に出る学生が多い。授業だけ出ておけばいいという学生が増えたのではないかと嘆いておられました。確かに、授業以外に集まって、先生を囲んで本を読むなどという時間が少なくなっているのかもしれません。われわれのいた頃の京都大学はもっと鷹揚だった。しかし今の子はほったらかしにするとバイトなどに熱心になって本当に勉強しなくなってしまう。だからポケットゼミではないが、多少意図的に、何をすればいいかを示す仕組みを入れてもいいのではないでしょうか。

松本先生:《放牧》の概念も、理学部出身の前任者と工学部出身の私とでは少しニュアンスが異なる。自由、自主を尊ぶことの一つの言い方ではありますが、受身の学生が増える中で、放牧してしまえば何をしていいかわからなくなるのは当然です。やはりある程度規律を示し、その上で選択の幅を広げることを私は検討していきたいと考えています。

石井先生:私は哲学の古代を専攻しましたが、そこで学問の厳しさを教えていただいたと思っています。「やさしさ」が最優先される社会の中で、意味ある厳しさを指導できる大学は非常に貴重だと思いますし、こういう大学のカラーを維持できる大学というのは今でも素晴らしいと思うし、その伝統は維持していってほしいと思います。

松本先生:最近、複数の研究科の大学院生が、研究科横断型のセミナーを開いてほしいと提案してきました。専門を深堀するだけでなく、文系・理系に亘って幅も広げたいのだという希望です。今でもこういう学生もいる。自分で提案してやっていこうという京都大学魂はまだ健在だと思いました。ぜひ実現させたい。

山﨑先生:私は当初、物理学へ進みましたから湯川秀樹さんの存在は大きかった。しかし今はどうでしょう。文系でも京都学派を引き継ぐような人は少ない。やはり、光る先生を大事に育ててもらいたいと思います。それと日本文学を専攻した者としては、古都京都にあることをもっと宣伝していただきたい。

松本先生:iPS細胞の研究で有名な山中伸弥先生を大学として支援してきたのは、芽を出せば大学は支援しますよ、という姿勢をアピールするためです。これは京都大学の責務だと思っています。

宮崎先生:私も最初は松本先生と同じで電気工学に進みましたから、湯川秀樹さんの本を読んだりして憧れもありました。しかし今の時代、京都大学からも発信力が少し足りない気がします。私自身、大学時代に進路を変えましたが、その時に残念ながら京都大学には受け皿がなかった。日本の大学はどこも進路変更がしにくい。京都大学内の専攻移動のしやすさだけでなくて、意欲の高い者に対しては外部からも転編入が可能なようなオープンな制度もつくってほしいですね。

松本先生:努力してみます。

文系・理系横断型の学びということでいうと、理工系でも文系の思考を持っている人、文系でも論理的思考が好きで数学にも強い人を作っていく、これが京都大学の夢です。これからはそうでないと、何事にも対応できる人材を養成したことにならないからです。そのためには1、2回生のうちから全人力を鍛える必要がある。だから《自鍛》につながるメニューもたくさん揃えておきたいと思っています。

基礎学力について

森上:最後になりましたが、自主的で自由な学びの土台となる基礎学力について、先生方それぞれの日頃のお考えをお聞かせ下さい。

松本先生:まず日本語のベースとなる漢字についていえば、京都大学は、東方文化学院京都研究所を引き継いだ人文科学研究所がたくさんの貴重な漢籍を保有するなど、東洋学についての長い伝統を持っていますから、京都大学も、京都府・京都市それに京都の財界、文化人らと協力して、漢字をベースに漢字文化、日本文化、東アジア文化の充実、発展を後押しするような文化活動をしていきたい。大学にも独自のグループを作り、漢字の研究に終わらせず、日本文化および中国、韓国と連携して東アジアからのメッセージを世界へ発信していきたいと思っています。漢字は歴史、地理、文学にも関係しますから、その基礎を鍛える仕組作りにも協力していきたいと考えています。

基礎学力全般でいえば、英語や数学といった教科だけではなく、技術家庭科、あるいは自然を見る力など、引き出しをたくさんもった基礎学力を頭の中へ入れてきてほしい。「これからの時代は記憶よりも想像力だ」などという単純な考えには反対です。とりあえず一旦知識を吸収することが大事で、それに縛られないようどこかでリセットして、一度アンラーニング(unlearning)することも必要ですが、まずはそのプロセスがなければ人間の脳は考えることすらできない。想像力の基礎として基礎学力は絶対必要だと思います。

和田先生:昔から読み書きそろばんと言われるようにとても大事なものだと思います。ただそれを身につける方法が、形骸化、画一化してはいけない。漢字を一つ覚えるのに30回書かせる宿題を、一回で覚えられる子に出すのはナンセンス。苦痛が残るだけです。その子その子にふさわしい基礎学力のつけ方を今後も研究開発していくべきだと思います。

ついでに言うと、中等教育の制度設計も見直さないといけないと思います。日本文化の基礎教養を身につけるのに、中1の新鮮な気分の中で百人一首を覚えてカルタ取りをするとか、古文、漢文の名文を一斉に唱和するのはとても効果的です。しかし今の学習指導要領では、前期課程であまり古文漢文をやらないことになっているから公立中学校ではやりにくい。高校ではもう照れくさいだけだと思います。

松本先生:私は高校でも楽しかったですけど。いずれにしろ、一律に、はよくないですね。

山﨑先生:ここにお集まりの学校は、受験対策にも阻害されることなく、高校からしっかりとした教養教育を行っておられるようです。基礎学力という概念とは少し違うかもしれませんが、そもそも教養とは、専門を生かすための実用的なものであり、専門の中で自分の立ち位置を見つけるためのものだといえます。そして、良い人間になるための素材でもあるのです。良い人間の意味するところは国によっても、年齢によっても違うかもしれませんが、教養教育を通じて良い人間を目指し、自ら考える力を中等教育の中でも身に付けてもらいたいというのが、われわれ共通の願いなのではないでしょうか。

石井先生:具体的に何を基礎学力とするかについてはいろいろな考えがあると思いますが、個人的には意欲を加味して考えたいと思っています。意欲が高ければ知識は少なくてもいいし、意欲が低ければ知識や知識を獲得する方法の理解はたくさんいるということです。いわば、意欲と知識の面積値が基礎学力であるともいえるでしょう。仮に将来、進路を変更することになっても、この面積が広ければ、十分にやっていけると思います。

松本先生:私たちの子ども時代はテレビもラジオもなく、ご飯を食べることにも汲々とするぐらい貧しかったから、人の気持ちがぶつかってケンカも絶えなかった。だから人の気持ちを読むことを教えられ、人間関係の大切さを知った。学問といえども真実を巡る人間関係である、と常々言っているのにはこういう背景があります。また、自然を観察する力なども、そういう社会によって教育してもらったようなものです。今はテレビもあって、家族と一緒にいても一人で自分の世界へ入れるし、親が帰ってこなくても冷蔵庫に食べるものがある。子どもを取りまく世界が変わってきているのだから、自然観察などは意図的にプログラムしないといけないと思います。

宮崎先生:《教養主義》を掲げ、理系の人間にも文系の科目を、逆に文系の人間にも理科を学ばせています。これがまさに基礎学力をつけることだと信じているからです。また自分の適性や、自分はどういう人間なのかを見つけていくのに、行事やクラブ活動にも力を入れています。こういう取組も広い意味での学力を高めるもの、人間形成の基礎になるものだと思います。

松本先生:今日は本当にいい勉強をさせていただきました。ありがとうございました。

森上:先生方、長時間どうもありがとうございました。

(11月19日、京都大学東京オフィスにて)